人工知能は、会話するアプリが登場してから生まれた技術ではありません。「artificial intelligence」という名前は1955年の研究計画書に記され、翌1956年、アメリカのダートマス大学で開かれた研究会が、この分野の出発点として知られるようになりました。
ただし、そこから今の生成AIへ一直線に進んだわけではありません。論理で問題を解く、専門家の知識を規則にする、データから判断の仕方を学ぶ。それぞれに成果と難所があり、以前の方法を組み合わせながら、できることを増やしてきた歴史です。
1950年のチューリングが置き換えた「考える機械」の問い
AIという名称が定着する前に、数学者アラン・チューリングは、機械の知能をどう論じればよいかを考えていました。1950年の論文『Computing Machinery and Intelligence』では、「機械」「考える」という言葉の定義を争うだけでなく、文字によるやり取りで相手を見分ける模倣ゲームを検討します。
姿や声を隠し、返答だけを手掛かりにするなら、何が知的な振る舞いの証拠になるのか。後にチューリングテストと呼ばれる考え方の核は、こうした観察可能なやり取りにありました。人間と同じ脳をつくれたか、内側に意識が生まれたかを直接測る試験ではないのです。
この違いは今も重要です。滑らかな文章を返す機械を見れば、人間と同じ仕方で理解していると感じるかもしれません。しかし、外から見える能力と、その能力を生む内部の仕組みは別の問いとして残ります。
1955年の計画書と、1956年のダートマス研究会
ジョン・マッカーシー、マーヴィン・ミンスキー、ナサニエル・ロチェスター、クロード・シャノンによる研究計画書の日付は、1955年8月31日です。翌年の夏、ダートマスで人工知能を研究する構想が示されました。「名前が提案された年」と「研究会が開かれた年」は一年違います。
計画書には、言語の使用、抽象概念、問題解決、自己改善といった課題が並んでいました。神経回路網にも言及があり、現在の研究につながる問題意識を見いだせます。とはいえ、一夏で人間同様の知能を完成させた会合ではありません。
それ以前にもあった計算、論理、脳、学習の研究を、「人工知能」という共通の旗の下へ集めたことが歴史的な意味を持ちました。1956年を誕生年とするのは、最初の知的な機械がその年に突然できたからではなく、研究分野としての輪郭が生まれたためなのです。
異なる研究が並行して進んだ歴史の一部です。前の技術が次の年に一斉に置き換わったわけではありません。
論理と探索の成功を阻んだ、選択肢の爆発
初期の重要な方向の一つは、問題を記号と規則で表し、答えへ至る手順を探す方法でした。数学の証明なら前提から結論へ、ゲームなら現在の盤面から有利な局面へ。取り得る操作がはっきりしていれば、コンピューターに候補を調べさせられます。
難しいのは、その数です。仮に一手ごとに十通りの候補があり、十手先まで単純に調べるなら、末端の候補は百億通りに達します。小さな問題でうまくいくことは、大きな問題でも同じ計算量で解ける保証にはなりません。
そこで、明らかに悪い候補を省く方法や、有望そうな手を先に試す工夫が必要になりました。知的な問題解決は、すべてを片端から試すだけでは足りない。何を調べずに済ませるかも、能力の一部だったのです。
専門家の知識を集めたエキスパートシステム
別の方向から成果を上げたのが、特定分野の知識を取り込むエキスパートシステムです。1960年代に始まったDENDRALでは、化学の知識を利用して、観測データから分子構造の候補を絞り込みました。一般的な推論の強さだけでなく、その分野について何を知っているかが力になります。
たとえば、機械の故障を調べる熟練者は、すべての部品を同じ順に確認するとは限りません。音、温度、故障の起こり方から、疑うべき箇所を絞るでしょう。こうした知識を「この条件なら、次にこれを確かめる」という形で表す発想です。
一方、専門家が経験で行っている判断を、漏れなく規則にするのは簡単ではありません。例外を追加すると別の規則と衝突し、設備や環境が変われば知識も更新する必要が出てきます。知識を入れることの有効性が分かったからこそ、その収集と維持が大きな課題になりました。
AIの冬は、すべての研究が止まった時代ではない
期待した成果が出ず、資金や企業の関心が後退した時期は「AIの冬」と呼ばれます。ただし、世界中の研究所が同時に閉まり、次のブームまで何も進まなかったという意味ではありません。どの国の、どの研究や市場を見るかによって、停滞の時期も異なります。
コンピュータ歴史博物館が公開する研究者の回顧にも、冬と呼ばれた時期に、確率を使う方法などが発展していたことが記されています。ある路線への期待がしぼんでも、別の方法や実用化の試みまで消えるわけではなかったのです。
「第一次、第二次、第三次」という区分は、大きな流れを把握するには便利でしょう。しかし、それだけでは、長く続いた研究が後に役立ったことや、古い方法が今も使われていることを取りこぼしてしまいます。
2012年の画像認識を変えた、学習方法・データ・計算機
ニューラルネットワークは、生成AIの流行とともに発明されたものではありません。多数の計算単位を結び、結び付きの強さを学習で調整する研究には、長い蓄積があります。ただし、生物の脳を丸ごと再現した仕組みと考えるのは行き過ぎです。
転機の一つとなったのが、2012年の画像認識競技で大きな成果を上げた、AlexNetと呼ばれるネットワークでした。大量の画像とその分類、深いネットワーク、GPUによる計算、学習を安定させる工夫を組み合わせ、従来の有力な方法に差をつけました。
重要なのは、正解を出す規則を人が細かく書く代わりに、画像の特徴を表す仕組み自体も学習の対象になった点です。猫の耳やひげを一つずつ人が定義するだけでなく、分類に役立つ表現を、多数の例から調整する道が広がりました。
成果を一つの天才的な発想だけに帰すと、再現の条件を見誤ります。方法があってもデータが乏しければ十分に学べず、計算が遅ければ多くの試行を回せません。研究の進展と、それを動かせる環境が重なったことが大きかったのです。
Deep BlueとAlphaGoに見る、異なる勝ち方
1997年、IBMのDeep Blueは、チェスの世界王者ガルリ・カスパロフとの六局の対戦に勝ち越しました。2016年には、AlphaGoが囲碁棋士の李世乭に五局中四勝を挙げます。どちらも人間の名手を破りましたが、中で行っている計算は同一ではありません。
Deep Blueでは、高速な探索と局面を評価する仕組みが重要でした。AlphaGoでは、次の手の候補や局面の価値をニューラルネットワークで判断し、探索と組み合わせています。学習が探索を不要にしたのではなく、どこを探すかを学習の成果で助けたのです。
競技に勝ったことは、その課題における大きな達成です。ただし、チェスに強い機械が、そのまま会話も家事も得意になるわけではありません。一つの能力の高さを、人間の能力全体と等号で結ばないことが、AIの成果を正確に評価する前提になります。
2017年のTransformerから、指示に応じる生成AIへ
2017年の論文『Attention Is All You Need』で提案されたTransformerは、機械翻訳の課題で示されたネットワーク構造です。文章の中の情報をどの程度参照するかを計算する注意機構を中心に据え、学習を並列に進めやすくしました。
その後、広い範囲の文章で学習した言語モデルを、さまざまな課題へ使う研究が進みます。ただし、文章の続きをつくるのが得意なことと、人の依頼に沿った返答ができることは同じではありません。2022年のInstructGPT論文は、回答例や人による評価を使う追加の学習が、指示への対応を改善することを示しました。
現在の対話型AIにつながるのは、一度の発明ではなく、表現を学ぶ方法、計算を大規模に行う技術、返答を調整する学習の積み重ねです。規則、探索、学習、検索も、互いに排他的な選択肢ではありません。必要な部分を組み合わせるところに、人工知能の歴史の連続性があります。
参考資料
- Turing(1950):Computing Machinery and Intelligence
- McCarthyほか(1955):ダートマス人工知能研究計画書
- Computer History Museum:AI & Robotics
- Computer History Museum:研究者によるエキスパートシステム史の回顧
- Krizhevskyほか(2012):ImageNet Classification with Deep Convolutional Neural Networks
- IBM:Deep Blue
- Google DeepMind:AlphaGo
- Vaswaniほか(2017):Attention Is All You Need
- Ouyangほか(2022):Training language models to follow instructions with human feedback