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人工知能の仕組みと歴史

人工知能はいつ生まれたのか 1956年ダートマス研究会の構想と実像

公開日

人工知能の誕生年としてよく挙げられるのは、1956年です。けれども、その年に突然、人間のように考える機械が完成したわけではありません。計算、神経のモデル、学習、言語、論理といった別々の研究を、「人工知能」という共通の問いのもとへ集めようとしたことが、この年の重要性です。

舞台となったのは、アメリカのダートマス大学で開かれた夏の研究会でした。計画書は前年の1955年に書かれており、そこには現在のAI研究にも通じる問題が並んでいます。一方で、実際の研究会は、参加者が同じ方法へ合意して進む整然とした共同作業ではありませんでした。

1955年の計画書に登場した「人工知能」という名前

1955年8月31日付の計画書には、ジョン・マッカーシー、マーヴィン・ミンスキー、ナサニエル・ロチェスター、クロード・シャノンの名が記されています。翌年の夏、学習や知能を機械で扱う研究を共同で進めるという提案でした。言語を使うこと、抽象化、問題解決、自己改善などが対象に含まれています。

この並び方には意味があります。人間の知能を一つの神秘的な力として扱うのではなく、いくつかの働きに分け、機械で実現できる形に記述しようとしているからです。文章の理解と、図形から共通の特徴を取り出すことは違う問題。それでも、どちらも計算による研究対象として同じ場所に置けると考えました。

計画に書かれたのは、研究を進めるための大胆な仮説であって、証明済みの結論ではありません。夏の共同研究だけで人間の知能全体を完成させるという実績報告でもないのです。この区別を失うと、分野の誕生が万能機械の誕生に置き換わってしまいます。

共通の名前が結び付けた、異なる研究の流れ

1956年より前にも、機械に知的な振る舞いをさせる研究はありました。チューリングは計算と機械の知能を論じ、神経の働きを論理的な素子として表す研究も進んでいます。制御と通信を横断するサイバネティクスも、その背景の一つでした。何もない場所に突然AIだけが現れたわけではありません。

では、新しい名前にどんな意味があったのでしょうか。たとえば、生物の神経に似た仕組みを作る人と、数学の証明を探索する人は、装置も言葉も違います。共通点を「脳と似ているか」に限定すれば、後者は外れやすい。共通点を「知的な課題を機械で実現すること」に置けば、両方が同じ研究分野で議論できるようになります。

名前ができると、研究者を集め、研究室を作り、学生を育て、成果を比較する枠組みも生まれます。もちろん名称だけで技術が進歩するわけではありません。それでも、別々の成果を互いに参照できるようにすることは、長期的な研究の土台になるのです。

分野名が生まれるまでの前後関係
1950年チューリングが機械の知能と学習を論じる
1955年8月人工知能の夏期研究計画書
1956年夏ダートマスで研究会、同時期にLogic Theoristが発展

思想の先駆、計画書、実際の研究会を区別した年表です。

実際の研究会は、一つの方法を決める会議ではなかった

マッカーシーの後年の回想によると、当初は参加者が一定期間一緒に取り組み、まとまった前進を得ることが期待されていました。しかし、実際には参加の時期がそろわず、それぞれが自分の問題を追う面も大きかったようです。教科書の年表に一行で記される出来事にも、計画と現場のずれがありました。

ここから「会議が失敗した」とだけ評価するのも早計でしょう。研究分野を立ち上げる集まりには、完成品を共同開発する会議とは別の役割があります。誰がどんな問題を解こうとしているのかを知り、似た発想や対立点を見つける。その後の研究が分かれて進む場合でも、共通の論点は残ります。

また、AIを生んだ人物として名前が知られる人が、全員この研究会の参加者だったわけではありません。チューリングは1954年に亡くなっており、1956年の会合には参加できませんでした。思想的な先駆者と、特定の会議の参加者を分けるだけでも、研究史の輪郭はずっと正確になります。

Logic Theoristが示した、推論を探索する方法

この時期の代表的な成果が、アレン・ニューウェル、ハーバート・サイモン、クリフ・ショーらのLogic Theoristです。数学の論理的な定理を証明するため、使える規則から証明へ至る道を探しました。計算機が単なる数値計算を超え、記号を操作して推論の課題に取り組む例となりました。

ここでの難しさは、推論規則を知ることだけではありません。ある命題から使える規則が何通りもあり、その先でも道が分かれるなら、組合せは急速に増えます。目的の定理につながる道を探すことが、迷路を解くような問題になるのです。正しい一歩を実行できても、どの一歩を選ぶべきかは別に考えなければなりません。

たとえば、駅Aから駅Dへ行く路線図を考えてみましょう。各駅で乗れる路線を知っているだけでは、遠回りや循環を避けられません。目的地との関係を使って候補を優先すれば、調べる道を減らせます。証明の世界でも、無差別な総当たりではなく、有望な操作を選ぶ工夫が力を発揮しました。

記号を操ることと、経験から学ぶこと

初期AIを「人が書いた規則の時代」、現代AIを「機械が学ぶ時代」と完全に二分すると、歴史が単純になりすぎます。ダートマスの計画書には、すでにニューラルネットワークや自己改善が含まれていました。記号を扱う方法と、学習する仕組みへの関心は、出発点から並行していたのです。

両者の違いは、迷路の例でも説明できます。規則中心の方法なら、地図をもとに進める道を列挙し、目的地への経路を探すでしょう。学習中心の方法なら、何度も試した経験から、ある状況でどちらへ進むと成功しやすいかを調整します。前者は明示された関係を使い、後者は経験から役立つ判断を獲得するという違いがあります。

ただし、二つは排他的ではありません。学習した判断で探索の順番を決めることも、規則による検査で学習結果を確かめることも可能です。後のAlphaGoや数学の証明システムで重要になる組合せは、初期の発想をすべて捨て去った先にだけ生まれたわけではありません。

小さな課題の成功から、日常全体への距離

論理の定理や盤上ゲームは、知的で難しい課題です。同時に、何が正しい操作か、成功をどう判定するかを比較的明確に決められます。だからこそ研究の出発点に適していました。成功条件を定められなければ、改良によって何が良くなったかさえ測りにくくなります。

しかし、限られた世界での成功が、日常全体へそのまま広がるとは限りません。積み木なら、机、ブロック、位置関係をあらかじめ記述できます。現実の部屋には、壊れやすい物、置いてはいけない場所、人の意図、照明の変化など、説明していない条件がいくらでもある。課題の種類より、扱う世界をどれほど明確に定義できるかが難しさを左右するのです。

この点が、後に「常識」や「組合せ爆発」として表面化します。人間なら当然として省略する条件を機械に与えるには、何を記述する必要があるのか。小さな実験を大きくするとき、必要な計算はどれだけ増えるのか。初期の成功は、こうした次の問題も同時に浮かび上がらせました。

1956年を起点にする意味

ダートマスをAIの誕生と呼ぶ意味は、一つの完成品の発売日に似ているわけではありません。計算、言語、学習、推論を、共通の研究課題として追う場がはっきりしたという意味に近いでしょう。研究会以前の蓄積も、その後の対立や失敗も、この起点を挟んでつながっています。

しかも、そこで掲げられた問いは、現在でも完全に解決していません。機械はどのように概念を得るのか。学んだ能力を別の問題へ移せるのか。人の言葉を、現実の状況と結び付けられるのか。技術の規模が桁違いになっても、問いの一部が残っているところに、AI研究の長さがあります。

次の時代に研究者が実際に形にしていくのは、問題を探索するプログラム、行動を計画するロボット、言葉で応答するシステムでした。それぞれの成功と苦手な場面を比べると、「機械が考える」という大きな目標が、具体的な技術へどう分かれていったのかが分かります。

参考資料

人工知能の仕組みと歴史

人工知能の仕組みと歴史