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人工知能の仕組みと歴史

AIの冬はなぜ起きたのか 期待の後退と日本の第五世代コンピュータ

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人工知能は何度も期待を集め、その後に失望を経験してきました。この停滞期を表すのが「AIの冬」という言葉です。ただし、世界中のAI研究が同じ日に始まり、同じ日に止まった季節があるわけではありません。機械翻訳、ロボット、専門家システム、学習研究では、評価が変わった理由も時期も異なります。

AIの冬を理解する鍵は、「まったく役に立たなかった」と考えないことです。小さな実験では成功していても、必要な規模へ広げられない。研究成果はあっても、維持費を含めた実用性が期待に届かない。能力、費用、社会の期待のずれが、研究資金や市場の変化と結び付いていました。

1966年のALPAC報告が問うた機械翻訳の実用性

1966年にアメリカで公表されたALPAC報告は、機械翻訳を中心に、翻訳の需要や費用、品質などを検討しました。研究の面白さだけでなく、人が翻訳する場合と比べてどれほど役立つのかが問われたのです。AI全分野を一括して評価した報告ではありませんでした。

翻訳では、文法的な文を出せるだけでは十分ではありません。専門用語を取り違えれば、後から人が直す作業が増えます。説明用に、一時間で翻訳できた文章でも、誤りの発見と修正に何時間も必要なら、全体では速くならないでしょう。出力する瞬間の速さと、完成品を得るまでの費用は違うわけです。

報告は実用性を厳しく評価する一方、言語学や翻訳を助ける道具の研究も論じています。研究支援への影響は大きかったものの、機械に言語は扱えないと永久に証明したわけではありません。対象は、当時の技術を当時の条件と需要に照らした実用性だったのです。

英国のLighthill報告と、規模を大きくする難しさ

1973年には、英国の研究評価としてジェームズ・ライトヒルの報告が現れます。背景にあった重要な論点の一つは、限定された課題での成果が、現実の複雑な問題へ広がるのかという疑問でした。探索する候補が急増する組合せ爆発は、この問題を象徴しています。

四つの積み木なら可能な配置を調べられても、物体が増え、行動が増え、人の意図まで入ると候補は膨大になります。小さい実験の成功を線形に伸ばせるとは限りません。「今の100倍の問題なら100倍の計算でよい」と考えたところに、100倍では済まない増え方が現れるのです。

評価をめぐっては研究者との論争もあり、研究の価値をどう測るか自体が争点になりました。実用化の近さだけを求めれば、長期的な基礎研究を過小評価する危険がある。一方、将来の大きな可能性だけでは、現在の支援をどう配分するか決められません。AIの冬には、技術だけでなく研究政策の問題も含まれています。

同じ「冬」でも、評価された領域は異なる
1966年・米国ALPAC報告:機械翻訳の品質・費用など
1973年・英国Lighthill報告:AI研究の評価
1982–1992年度・日本第五世代コンピュータプロジェクト
1993–1994年度・日本研究基盤化の後継プロジェクト

世界共通の研究停止期間を示す年表ではありません。

1980年代の熱気を支えた専門家システム

その後、専門知識を規則として使うエキスパートシステムが、企業の仕事に結び付いて注目されました。対象を狭く定めれば、日常全体の常識を機械に与えなくても価値を出せます。コンピュータの構成を決めるR1のような実例は、AIが抽象的な夢だけではないことを示しました。

しかし、運用を続けるには知識の更新が欠かせません。製品や手順が変わるたびに規則を調べ、矛盾や例外を修正する。実演では目立たないこの作業が、導入後の費用になります。システムを一度作る費用と、何年も正しく使う費用を分けなければ、期待と実態はずれてしまいます。

また、AI向けの専用環境に対し、汎用計算機の性能向上も進みました。ある技術が機能していても、それを高価な専用機で動かす経済的な理由は弱まる場合があります。市場の縮小は、研究原理が間違っていたという判定と必ずしも同じではありません。

日本の第五世代コンピュータが目指した「推論する計算機」

日本では1982年に、第五世代コンピュータプロジェクトが始まりました。推進の中心となったのは新世代コンピュータ技術開発機構、ICOTです。目標は知識情報処理に適した新しいコンピュータ技術の研究開発で、並列推論のためのハードウェアとソフトウェアが追究されました。

ここでいう第五世代は、今日の商品名の世代番号のように、単に従来機を少し高速化したという意味ではありません。知識や論理を扱う計算に向け、計算機の構成から変えようとした構想です。現在の大規模言語モデルを先に作ろうとした計画でもなく、当時有力だった知識処理と論理プログラミングの方向が強く反映されていました。

情報処理学会のコンピュータ博物館によると、プロジェクトは1992年度までの11年間にわたり、並列推論マシンなどを開発しました。その後、1993〜1994年度には研究基盤化の後継プロジェクトも行われています。1992年を一つの区切りとしつつ、そこで活動のすべてが消えたと考えないことが大切です。

「成功か失敗か」だけでは捉えられない大型研究

第五世代コンピュータを、現代の生成AIにつながらなかったから無意味だったと評価するのは、後から正解を知って過去を見るやり方です。研究開始時には、どの方式がどこまで伸びるか確定していませんでした。並列処理、プログラミング、推論システム、人材育成など、成果を分けて考える必要があります。

逆に、技術的な成果があったことだけで、当初の広い期待や産業上の目標がすべて実現したとするのも適切ではありません。試作機が動くこと、研究で使えること、社会に広く普及することは、それぞれ異なる段階です。大型研究の評価には、何を目標とし、何を実際に残したかという両方が必要になります。

これは現代のAIにも通じます。ある実験が驚くほど優秀でも、使える計算資源や費用、入力の条件が限られているかもしれない。成果を認めながら、適用範囲を広げすぎない姿勢は、研究を冷笑することとは違うのです。

冬の間にも続いた、確率・学習・認識の研究

AIの冬を全面的な研究停止と考えると、その後の進歩が突然の奇跡に見えてしまいます。実際には、確率的な推論、音声認識、文字認識、ニューラルネットワークなどの研究は続きました。1986年の誤差逆伝播の普及や、1997年のLSTMも、その長い蓄積の中にあります。

「AI」への期待が弱まっても、個々の計算手法まで消えたわけではありません。統計、信号処理、パターン認識などの分野でも研究は進みました。分野名だけを追うと、境界をまたいで続いたこの蓄積を見落としてしまいます。

後の深層学習の成功には、方法の改良だけでなく、データと計算機の変化も関係しました。以前は試しにくかった規模の学習が可能になり、異なる方法を共通の課題で比較できるようになる。新しい春は、何もなかった場所に突然訪れたわけではありません。

AIの冬が残した、実演と運用を分ける基準

短い実演では、成功した場面だけが印象に残ります。しかし日常の運用は、成功した一回の再演ではありません。失敗の頻度、失敗からの回復、入力が変わったときの対応まで確かめて、初めて繰り返し任せられるかを判断できます。

たとえば、静かな部屋で特定の話者の声を認識できても、雑音のある場所で大勢が話せば難しくなるでしょう。研究成果が偽物だったということではありません。成功を支えた条件が何だったかを明らかにし、その条件を変えたときの性能を確かめる必要があるということです。

AIの冬から得られるのは、「期待すると必ず失敗する」という教訓ではありません。能力の向上と、その能力をどこまで広く使えるかを分ける基準です。研究の価値を認めつつ、規模、費用、維持、評価の条件まで含めて考えることが、熱狂にも過度な悲観にも偏らない理解につながります。

参考資料

人工知能の仕組みと歴史

人工知能の仕組みと歴史