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行動経済学入門

サンクコスト効果とは 「もったいない」でやめられなくなる理由

公開日 / 更新日

楽しみにしていた映画なのに、一時間たってもどうしても面白くありません。途中で帰れば、近くの店で好きな本を見てから帰宅できます。それでも席を立てない。「せっかくお金を払ったのだから、最後まで見ないともったいない」と感じるからです。

すでに払い戻せない入場料は、映画館を出ても席に残っても戻りません。変えられるのは、これからの時間の使い方です。回収できない過去の費用が、現在の継続判断を左右する現象を、サンクコスト効果、または埋没費用効果と呼びます。お金だけでなく、注ぎ込んだ時間や労力でも起こりえますが、続けることが常に間違いという意味ではありません。

回収できない費用と、まだ変えられる費用

サンクコストの「サンク」は沈んだという意味で、判断の基準となる時点ですでに支払われ、現在の選択では取り戻せない費用を指します。費用が大きかったか小さかったかではなく、これからの選択によって変わるかどうかが境目なのです。

映画の例なら、払い戻し不可の入場料が埋没費用です。一方、映画のあとに乗る電車の追加料金や、続きを見る一時間は、これからの行動によって変わりうる費用。もし途中退場で返金される特別な仕組みがあるなら、入場料のすべてが埋没しているわけではありません。

この区別が重要なのは、「過去は全部無視すればよい」という誤解を防ぐためです。過去に買った道具を売却できるなら、その売却額は今の選択に関係します。解約料がこれから発生するなら、それも将来の費用。単に古い支出をまとめて消す話ではないのです。

過去の入場料は回収不可。今の選択によって、これから一時間の使い道は変わる。
図1 払い戻し不可の入場料と、まだ使い道を選べる時間。費用の発生時点だけでなく、回収可能性も重要です。

映画館に残っても、入場料は戻らない

入場料を千八百円としましょう。残れば千八百円、帰っても千八百円。この時点からの二つの選択肢を比べると、同じ金額が両方に含まれます。

判断を分けるのは、続きから得られそうな楽しみと、別の場所で過ごす時間の価値です。物語の結末を知りたいなら残る意味があるでしょうし、終盤から面白くなりそうなら、それも将来への期待でしょう。こうした理由は、「払った金額が大きいから」という理由とは区別できます。

帰ることを「千八百円を無駄にする選択」と感じても、実際にはその千八百円を回収する選択肢はもうありません。いま残っているのは、残りの一時間を映画に使うか、別の活動に使うか。過去の出費の評価と、これからの時間の配分が一つになっているところに、サンクコストの難しさがあります。

高く払った旅行を選びたくなる、二重予約の実験

ArkesとBlumerが1985年に発表した研究には、二つのスキー旅行を誤って同じ週末に予約してしまう仮想問題があります。一方は百ドル、もう一方は五十ドル。本人は五十ドルの旅行のほうが楽しめそうだと考えているのに、予約は払い戻しも売却もできません。

楽しさだけなら、五十ドルの旅行を選ぶ条件です。どちらへ行っても、すでに払った合計百五十ドルは変わりません。それでも、回答者には高く払った旅行を選ぶ人がいました。高いほうを使わずに終わらせることに、より強い無駄を感じる構造です。

この実験では、高い旅行のほうが品質もよいだろう、という通常の推測を、そのまま選択の理由にはできません。安いほうが楽しめそうだという条件を明示することで、価格が楽しさの情報になる場面と、価格の大きさが独立して判断を動かす場面を分けようとしているのです。

ただし、仮想問題への回答が、現実の旅行予約と完全に同じとは限りません。その後の研究をまとめた2015年のメタ分析でも、すでに買ったものを利用する判断と、追加で資源を投入する判断など、条件の違いが重視されています。「人はいつも高いほうを選ぶ」という法則ではありません。

「もったいない」が、これからの無駄を増やす逆転

食べ物を残さない、物を大切にする、途中で投げ出さない。こうした習慣は、多くの場面で役に立ちます。簡単に買い替えたり、少し難しいだけでやめたりすれば、かえって資源を失うこともあるでしょう。

ところが、その習慣を機械的に適用すると、結果が逆になる場合があります。使わない道具を「買ったから」と保管し続け、必要なものを置く場所がなくなる。つまらない映画に残り、もっと楽しめたはずの時間を失う。過去の無駄を認めないために、新しい費用を追加する形です。

ArkesとBlumerは、無駄を避けたいという動機がサンクコスト効果に関わると論じました。ただし、すべての継続に同じ心理があるとは限りません。過去の判断を正しかったと思いたい気持ちや、他人への説明のしにくさなど、別の事情も関わりえます。サンクコストという名前は、原因を一つに確定する診断名ではないのです。

過去の努力が、未来の価値を本当に高めている場合

三年間続けてきた楽器の練習を考えてみましょう。最初は難しかった曲が弾けるようになり、音楽を楽しむ方法も増えている。ここで続けることを、費やした年月があるという理由だけでサンクコストの誤りと呼ぶのは不適切です。

過去の練習時間そのものは取り戻せませんが、身についた技術は現在に残っています。その技術がこれからの演奏の楽しさを高めるなら、継続の判断に含めてよい価値です。埋没した費用と、過去の活動が生んだ現在の能力は同じではありません。

模型づくりでも同様です。完成直前まで進んでいて、あと一時間で作品が仕上がるなら、その一時間には大きな価値があるかもしれません。「ここまで何十時間もかけたから」ではなく、「あと一時間で望む完成品が手に入るから」。外からは同じ継続に見えても、理由は異なります。

今後の価値と追加負担の比較から、継続と切り替えを検討する分岐。
図2 続けるかどうかは、これからの価値と負担で判断。過去の努力が残した技術や、撤退時の負担は今後の比較に関わります。

図の分岐は、「続けるな」という命令ではありません。完成の見込みや追加負担が、現在の情報でどう変わっているかを考える道筋です。途中までの成果に価値があり、残りの作業が小さいなら、続けるほうが自然な場合もあります。

撤退にも費用があるという、もう一つの現実

趣味のイベントを仲間と企画しているなら、自分だけがやめることで、ほかの人に負担が生じるかもしれません。約束を引き継ぐ手間や、道具を片づける作業も必要です。これらは単なる過去への執着ではなく、これから発生する影響です。

同じ理由で、「今日初めてこの活動を知ったとしても始めるか」という問いだけでは、判断し切れません。新しく始める人と、現在続けている人では、持っている技術、仲間との関係、やめるときの負担が違うからです。

その問いが役立つのは、過去に払った額へのこだわりをいったん外すためでしょう。そのあとで、今持っている能力や道具、今後の負担を戻して考える必要があります。現実の継続判断を、まっさらな出発点へ完全に置き換えることはできません。

「一回当たりの料金」を下げても、楽しさは増えない

何度でも参加できる趣味の講座に一万円を払い、一回参加したとします。もう一回行けば、一回当たりの支払額は五千円。四回なら二千五百円になります。この計算は正しいのですが、平均額が下がること自体を、次の参加の利益と考えると話が変わってきます。

追加参加に料金がかからなくても、移動と受講には時間を使います。毎回楽しめ、技能も身につくなら、参加を増やす理由になるでしょう。しかし、内容が自分に合わず、ただ一回当たりの金額を薄めるためだけに通うなら、数字は改善しても経験は改善しないかもしれません。

ここで比べたいのは、総支払額を回数で割った平均ではなく、次の一回がもたらす価値と負担です。追加の一単位を考える「限界的な判断」と呼ばれる考え方で、過去の平均を見やすくすることとは目的が違います。

使わなかった時間にも、選ばなかった楽しみがある

映画館に残るのに追加料金がかからないなら、「帰っても得はない」と感じるかもしれません。しかし、その一時間で書店へ行ったり、早めに帰って休んだりする可能性は失われます。ある選択のために手放す別の選択肢の価値を、経済学では機会費用と呼びます。

だからといって、休日の一分一秒を有効活用すべきだという話ではありません。何もしない時間を望むなら、それも立派な代替案です。「無料で続けられる」の無料に、時間まで含まれているわけではない。支払う金額がゼロでも、選んだ時間にはほかの使い道があるのです。

過去の選択を否定せず、次の一時間を選び直す

映画館を出ると決めることは、チケットを買った自分を愚かだと認めることとは違います。予告編では面白そうだった、評判もよかった、自分の好みに合うと思った。その時点の情報では、十分に納得できる選択だったかもしれません。

一時間見たあとには、新しい情報があります。自分には合わない、期待していた内容と違う。それを使って次の選択を変えることは、過去の判断を罰することではなく、判断材料が増えたことへの対応です。

過去の出費を振り返る価値がなくなるわけでもありません。次回は紹介文のどこを確かめるか、評判と自分の好みをどう区別するかという学習には役立ちます。ただし、その振り返りを、今の席に残り続ける義務へ変える必要はないのです。

サンクコストの考え方は、途中でやめることを賢さとして称賛するものではありません。最後まで見てよかった映画も、苦労して完成させた作品もあるでしょう。重要なのは、取り戻せない千八百円を理由に、まだ自由に使える一時間まで同じ場所へ沈める必要はないという区別です。残るにせよ席を立つにせよ、選ぶ対象は過去ではなく、これから起こる経験なのです。

参考資料

行動経済学入門

行動経済学の理論