スイスには、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語という四つの国語があります。それならスイス人は誰でも四言語で会話できるのでしょうか。実際には、多くの人は特定の言語地域で暮らし、その地域の言葉を生活の中心にしています。
スイスの多言語性は、一人ひとりが同じ四言語を身につけることで成り立っているわけではありません。言葉の異なる地域を一つの国にまとめながら、行政や教育のどこまでを共通にし、どこを地域に任せるか。その分担に、スイスならではの仕組みがあります。
一つの「スイス語」ではなく、地域ごとに異なる生活言語
大まかには、北部・中部・東部にドイツ語圏、西部にフランス語圏、南部にイタリア語圏が広がっています。ロマンシュ語は、南東部のグラウビュンデン州の一部で使われる言葉です。全国のどこへ行っても四言語が同じ割合で使われる、という分布ではありません。
周囲にはドイツ、フランス、イタリア、オーストリアなどがあり、文化や言語のつながりは現在の国境だけでは区切れません。一方で、同じ言葉を使うことが、そのまま同じ国に属することを意味するわけでもありません。スイスの国境と言語圏の境界は、異なる歴史を持っています。
| 国語 | 主な言語地域 | 押さえておきたい違い |
|---|---|---|
| ドイツ語 | 北部・中部・東部 | 日常会話のスイスドイツ語と、書き言葉の標準ドイツ語 |
| フランス語 | 西部 | ドイツ語との二言語地域も存在 |
| イタリア語 | ティチーノ州、グラウビュンデン州の一部 | 州境と言語の境界が完全には一致しない |
| ロマンシュ語 | グラウビュンデン州の一部 | 少数言語としての国語の地位と、連邦での限定的な公用語の地位 |
同じ言葉の人々を集めるのではなく、地域を結んだ連邦
スイスが初めから四言語を対等に扱っていたわけではありません。かつての同盟は主にドイツ語を使う地域が中心で、フランス語やイタリア語などを使う土地には、同盟側に従属する地域もありました。今日の多言語国家を、そのまま中世へさかのぼらせることはできないのです。
転機となったのが、1798年以降の政治体制の変化と、1848年の連邦憲法でした。憲法はドイツ語・フランス語・イタリア語を国語として認め、州に政治・文化面の大きな自治を残します。地域の言葉を一つにそろえてから国をつくるのではなく、それぞれの言葉を使う地域が、共通の国を運営する道を選んだわけです。
そのため、多言語が残った理由を「隣に大国があるから」だけでは説明しきれません。異なる言語圏が存在した歴史に加え、州の自治と連邦での言語の尊重を組み合わせた制度が、その違いを保ってきました。
「四つの国語」と「連邦の公用語」の違い
国語とは、国を構成する言語として認められた位置付けです。公用語は、行政が実際に業務を行う言語の位置付け。この二つは重なりますが、スイスではすべてが同じ範囲になるわけではありません。
連邦の通常の公用語は、ドイツ語、フランス語、イタリア語です。ロマンシュ語も、ロマンシュ語を使う人とのやり取りでは連邦の公用語となります。ただし、連邦のあらゆる文書が、同じ条件で四言語に翻訳されるという制度ではありません。
ロマンシュ語が第四の国語として認められたのは1938年。その後、1996年に連邦とのやり取りに関する地位が拡大しました。少数の人が使う言葉を国の一部として尊重することと、行政実務で使える範囲を広げることは、別々の段階を経てきたのです。
全国共通の行政と、地域の言葉を守る州の役割
スイスの州はカントンと呼ばれ、行政や教育に大きな役割を持ちます。州の公用語は州が定めるため、国全体に四つの国語があることと、ある役所の窓口で四言語が同じように使われることは別の話です。
ベルン、フリブール、ヴァレーの各州はドイツ語とフランス語、グラウビュンデン州はドイツ語、ロマンシュ語、イタリア語という多言語の構成です。州が一言語ずつきれいに色分けされているわけではありません。
もし、人口の増減に合わせて多数派の言葉へすべて切り替えたら、どうなるでしょうか。長くその場所で使われてきた言葉が、学校や行政から失われかねません。伝統的な言語地域や少数言語への配慮を重視するスイスの言語政策には、事務の効率だけでなく、地域の言葉を次の世代へ受け継ぐという意味もあるのです。
会話のスイスドイツ語と、文章の標準ドイツ語
ドイツ語圏で耳にする言葉は、新聞に載るドイツ語と同じとは限りません。日常会話で広く使われるスイスドイツ語は、地域差のあるアレマン系方言のまとまりであるのに対し、新聞や公的な文章では標準ドイツ語が重要な役割を担っています。
そのため、「ドイツ語が主な言語」と答えた人の会話を聞いても、ドイツの教材で学んだ発音や表現と同じとは限りません。本人が日常的に方言を話しながら、文章では標準語を使うという組み合わせがありえます。
これは、ドイツ語圏の住民をそのまま別々の民族に分ける話でもありません。同じ人が場面に合わせて言葉の形を使い分けています。国語の名前を四つ数えるだけでは、実際の言語生活の細かさまでは分からないのです。
国全体の多言語と、個人の語学力は別のもの
スイスでは学校で、少なくとももう一つの国語を学ぶことになっています。それでも、学習経験と、日常のあらゆる場面で流暢に使えることは同じではありません。住む地域、家庭、仕事、言語圏をまたぐ交流の多さによって、使う言葉は変わります。
連邦の情報を複数の言語で提供する仕組みは、むしろ全員が同じ言語を使えると仮定しないためのものです。必要な情報を得るたびに、多数派の言葉だけを使わなければならない社会とは異なります。
もちろん翻訳だけですべてが解決するわけではなく、異なる言語地域の人々が相手の言葉や文化を学ぶことも重要です。共通語を一つにする方法と、複数の言語を支える方法の間には、教育や運営の負担を含む違いがあるでしょう。
四言語だけでは収まらない、現在のスイス
スイスには、移住や国際交流を通じて、英語、ポルトガル語、アルバニア語などを使う人々も暮らしています。四つの国語は制度上の重要な柱ですが、国内で話される言語の完全な一覧ではありません。
「国語が四つある」「住民が複数の言語を使う」「一人が四言語すべてを話す」は、それぞれ違う状態です。スイスの特徴は、これらを一つにせず、異なる言語で暮らす地域が共同の国を運営しているところにあります。