エチオピア高原を上空から眺めると、広い台地が川に深く切り込まれ、所々に城壁のような崖が現れます。火山の土地といっても、富士山のような円すい形が延々と並ぶ景色ではありません。大量の溶岩が広がってできた地層と、その後の隆起や侵食が組み合わさった大地です。
どうして溶岩が平たい高原になり、その高原に深い谷ができたのでしょうか。鍵となるのは、地表に岩石を積み重ねる働き、大地を押し上げる働き、川が削る働きという、三つの異なる過程にあります。
一つの火口からできた山ではない、広大な溶岩台地
エチオピアの広大な火山岩地帯では、玄武岩が大きな割合を占めています。流れやすい玄武岩質の溶岩が大量に供給されると、火口のそばだけにはとどまりません。谷を埋めて遠くへ広がる噴出が重なり、一つの頂上へ向かう円すい形とは違う、面として広い地形の土台になります。
大規模な噴出の中心的な時期は約3000万年前。岩石の年代を調べた研究では、その主要部分が地質学的には短い期間に噴出したと考えられてきました。ただし、それ以後も別の火山活動は続いており、高原の火山岩すべてが同じ噴火でできたわけではありません。
台地の崖に何段もの岩の層が見えるのは、溶岩が一度に一枚の厚い板になったからではなく、繰り返し重なったためです。噴出の間には風化や侵食も進みました。岩の積み重なりの中に、地表だった時間の痕跡が挟まっているのです。
標高のすべてを「溶岩の厚さ」で説明できない理由
ここで注意したいのは、溶岩が積もった高さと、現在の標高は同じではないという点です。たとえば、もともと高かった土地に溶岩が広がり、その土地全体が後から持ち上がれば、山頂や台地の標高には三つの要素が含まれることになります。
2016年のエチオピア・イエメン高原の研究では、古い地表面や川の縦断形などを手掛かりに、火山活動より前から起伏のある地形が存在し、その後も広域的な隆起が進んだと検討されました。地下深部のマントルの動きが、高原を長期的に支えるという解釈です。
地下の熱い物質は周囲より密度が小さく、上昇する流れや浮力が地表の高さに関わりえます。ただし、隆起の時期や割合を直接見届けることはできません。岩石、地震波、川の形などを組み合わせて復元するため、細かな歴史には研究上の議論が残っています。
高原の構成を示す模式断面です。青ナイルの特定地点の実測断面ではありません。隆起と侵食は同時に進む場合もあり、断層と地溝帯は省略しています。
高原を分ける地溝帯と、切れ落ちる縁
エチオピアの高地の間には、東アフリカ地溝帯の低い帯が延びています。これは川が削っただけの谷ではありません。大地が横へ引き伸ばされ、断層を境に相対的に落ち込んだ地域で、北東側では紅海やアデン湾へ続くアファールの低地に至ります。
つまり、同じ高原の一部でも、断層のどちら側にあるかで、その後の高さが変わりえます。広域的な隆起と局地的な沈降が重なり、高い台地の隣に低地ができたのです。
地溝帯の周辺には比較的新しい火山もあります。しかし、それらの個々の火山と、広い台地を覆う古い溶岩層は、形成の規模も時期も同じではありません。現在活動している火山だけを思い浮かべると、高原全体の長い歴史を取りこぼしてしまいます。
青ナイルが刻んだ、台地の内部へ下りる道
高原の西側を大きく刻む川の一つが、タナ湖を出る青ナイルです。雨の多い高地で水を集め、スーダン側の低い土地へ向かう途中に深い谷をつくってきました。高原の表面を移動しているつもりが、川を渡るために大きく下り、反対岸で再び登ることになる地形です。
川は水だけで岩を削るのではありません。流れに運ばれた砂や礫が河床に当たり、割れ目から岩片が取り去られるなど、複数の働きが重なります。削れやすさの違う層が露出すると、崖や斜面の形にも差が生まれるでしょう。
侵食が溶岩層の下まで達した谷では、谷壁にさらに古い地層が露出します。台地の上を歩くだけでは見えなかった、高原の土台です。谷を下りる道は、高さを変えるだけでなく、異なる時代の岩石に接する機会にもなるでしょう。
滝や急流を、隆起の時計と決めつけられない事情
川の縦断面で傾きが急に変わる場所は、「遷急点」と呼ばれます。下流側の低下や大地の隆起をきっかけに、急な区間が上流へ移りながら谷を深めることもあるため、研究者はその位置に注目してきました。滝や急流の位置が、地形の変化をたどる手掛かりになるわけです。
ただし、青ナイル流域では別の作用も無視できません。溶岩が川の通り道を変えたり、一つの川が侵食によって隣の流域の水を奪ったりすると、流量と土砂の供給が変わります。これが「河川争奪」です。
2018年の研究は、こうした流域の組み替えや土砂の移動が、高原の谷の発達にどう影響するかを検討しました。急流があるから、その場所が特定の時期に同じ高さだけ隆起した、と一対一では結び付けられません。川自身の歴史も調べる必要があるわけです。
平らな頂と険しい谷が同居する、時間差のある地形
高原という呼び名から、なだらかな土地だけを想像するかもしれません。しかし、かつて広く続いていた面を川が切れば、平らな頂部と険しい谷は同時に存在できます。シミエン山地の切り立った景観にも、火山岩の積み重なりを長い侵食が彫り込んだ歴史があります。
エチオピア高原は、「噴火でできた」「大地が隆起した」「川が削った」のどれか一つを選んで説明する土地ではありません。それぞれが違う時間と広がりで作用し、現在の標高、台地の表面、谷の深さをつくってきました。広い溶岩台地と深い渓谷が隣り合う理由は、その重なりにあるのです。
参考資料
- Nature:Timing of the Ethiopian flood basalt event and implications for plume birth and global change
- Sembroniほか(2016):Long-term, deep-mantle support of the Ethiopia-Yemen Plateau
- Giachettaほか(2018):Effects of River Capture and Sediment Flux on the Evolution of Plateaus
- NASA Earth Observatory:Semien Mountains, Ethiopia