平らな大地から、赤い岩の塊が突然せり上がるウルル。地下のマグマが押し出した岩でも、どこかから転がってきた巨石でもありません。もとは山から運ばれた砂の層で、それが岩になり、地殻の変動で大きく傾き、周囲が削られるなかで地表に残ったものです。
現在の姿には、砂を供給した山、地層を立てた力、地表を削った水という、異なる時代の出来事が重なっています。岩肌の縦の筋も赤い色も、それぞれ別の過程の手がかりなのです。
砂岩の材料になった、今は失われた山々
ウルルの岩石は、長石を多く含む砂岩の一種「アルコース」です。砂岩というと砂漠の砂丘を想像しがちですが、ここで重要なのは古い山地から流れ出した土砂。約5億5千万年前の造山運動で高まった山々が削られ、雨水が砂や礫をふもとへ運びました。
山地の出口で流れの勢いが弱まると、土砂は扇のように広がって堆積します。これが扇状地で、ウルルの前身は砂を多く含む堆積物でした。その後、地域を覆った浅い海の堆積物などに埋もれ、圧密や粒子を結びつける作用を経て岩石へ変わったのです。
つまり、目の前の岩山をつくった材料は、さらに古い山を壊したかけら。ウルルの起源を現在の輪郭までさかのぼるだけでは、その前にあった巨大な山地を見落としてしまいます。
ほぼ直立した地層が示す大地の変形
土砂がたまった当初、層は現在のように立っていたわけではありません。約3億〜4億年前の地殻変動で、地層が折れ曲がり、ウルルの砂岩層はほぼ90度傾きました。横に積み重なっていた層が、側面から見ると縦の帯のように並ぶ向きになったのです。
巨大な岩が完成してから、その岩だけが起こされたのではなく、地下へ続く地層の一部が変形したということ。現在見える岩肌の筋には、もとの堆積層の違いが風化によって際立ったものがあります。
ウルルの成り立ちを説明する模式図で、実際の地質断面ではありません。各段階の寸法・時間は比例せず、地層の上下の向きや地下深度の復元も示していません。最下段の地表線は岩体の底ではありません。
岩が盛り上がることと、周囲が低くなること
地殻変動だけでは、平原に孤立する現在の姿は説明できません。その後の長い侵食で周囲の岩が取り去られ、比較的残りやすかった砂岩の部分が露出しました。山が高く見える理由には、山そのものが上がるだけでなく、まわりが削られて低くなることもあるわけです。
ただし、ウルルが侵食を受けない岩という意味ではありません。雨の流れる道には溝や窪みができ、鉱物の変質で表面がはがれる場所もあります。周囲との削られ方の差が、孤立した岩山の輪郭を保っているのです。
地表に見える塊は、地下の岩体から切り離された置き石でもありません。地下深くまで続く岩の露出部であり、地面の線は岩の底ではない。この区別が、見かけの「一枚岩」の巨大さを理解するうえで欠かせません。
赤い表面と、灰色の新鮮な岩
夕日に照らされた赤色は、岩石の内部まで一様に続く色ではありません。新鮮なアルコースは灰色系で、表面の鉄を含む鉱物が酸化すると、さびに由来する赤褐色が現れます。赤い岩肌は、岩と空気や水の接触が生んだ色なのです。
また、砂漠にあるからといって、表面の造形をすべて砂嵐の研磨で説明することもできません。砂が風で動く影響は地面に近い場所に偏り、上部を含む溝や窪みには、雨水の流れや水分による化学的な風化が関わっています。
乾燥地でも、水の働きが小さいとは限らないのです。普段は流れのない岩肌を雨が伝うと、地形を変える作用が短い時間に集中することがあります。
カタ・ジュタとの違いに残る堆積物の個性
近くのカタ・ジュタも、古い山地から流れ出した堆積物を起源としますが、岩質は同じではありません。こちらは砂だけでなく、大きな礫を含む礫岩。地層の傾きもウルルほど急ではなく、国立公園の地質資料では約15〜20度とされています。
カタ・ジュタでは割れ目が広がり、谷が発達して、丸い岩のドームが分かれた景観になりました。共通する大地の歴史があっても、材料、割れ目、傾きによって残り方が変わるのです。
ウルルの輪郭だけを見れば、平原に一つの岩が置かれたようにも感じられるでしょう。けれども、その岩は砂の運搬、埋没、変形、侵食をくぐり抜けた地層の一部です。縦の筋と赤い表面は、同じ時にできた模様ではなく、長い歴史の異なる場面を今に残しています。