大西洋に浮かぶアゾレス諸島のピコ島には、黒い石垣で細かく仕切られたブドウ畑があります。斜面を階段状にした段々畑ではなく、海に近い溶岩の土地を無数の小区画に分けた景観です。畑を広く一枚にしたほうが作業は楽そうですが、ここでは壁があることに意味がありました。
島で手に入る玄武岩を積み、強い風や海からの飛沫の影響を和らげる。石垣は土地の境界であると同時に、ブドウを育てるための小さな環境をつくる設備だったのです。
肥沃な平野ではなく、固まった溶岩の上の畑
ピコ島は火山活動でできた島です。海岸近くのラジードと呼ばれる溶岩原には、流れて冷えた玄武岩の起伏や縄のような表面が残っています。火山の島だからといって、どこにでも深く柔らかな土があるわけではありません。
溶岩が地面を覆う場所では、農地を開く際に石を取り除き、栽培できる部分を確保する必要がありました。邪魔な石を遠くへ捨てる代わりに、畑を囲う材料として使う。地面の制約と建材の供給源が、同じ岩石だったわけです。
黒い壁をつくる岩は、海岸へ運び込まれた装飾用の石ではありません。畑の形そのものに、火山島の成り立ちが表れています。
小さな囲い「クラライシュ」が風を弱める仕組み
海岸で強風や海水の飛沫にさらされるブドウを、どう守るか。その工夫が、クラライシュと呼ばれる石垣の小区画です。壁で流れを遮り、ブドウの周りの風の条件を変えています。
これは温室のように外気を完全に閉め出す仕組みではありません。石を積んだ壁には隙間があり、上も開いています。風や塩の影響をゼロにするのではなく、栽培上の負担を小さくする工夫です。
畑の外周だけを囲っても、広い敷地の中央まで同じように守れるとは限りません。細かく区切ると、ブドウの近くに壁を置けます。その代わり通路や壁が土地を使い、大型機械で一気に作業するにも不向きになります。
防風の役割を示す模式図で、風速の実測や流体計算ではありません。風や塩の影響をなくす設備ではなく、気象条件や壁の配置で効果が変わります。
段々畑と違い、主な課題は斜面より風
山地の段々畑では、斜面に土を留め、水が急に流れ去るのを防ぐために壁を設けます。ピコ島の代表的なブドウ畑は、海岸沿いの比較的低い溶岩地形に広がるものです。石垣があるという共通点だけで、同じ土地利用だとは言えません。
もちろん島内にも傾斜や起伏はありますが、世界遺産に登録された景観の特徴は、小区画の壁と、海にさらされた火山性の土地との組み合わせです。畑を横から見るだけでなく、壁の網目が海岸に沿ってどう続くかも重要になります。
「石だらけで不便な土地を我慢して使った」という説明も、半分だけです。その石を防風設備へ変えたことで、もとの不利を別の用途に生かせました。
溶岩に残る車輪の溝と、海へ運んだワイン
ピコ島で地面に残ったのは、畑の区画だけではありません。アゾレス・ジオパークが紹介するのは、溶岩面の荷車の車輪の溝、樽を海岸へ運ぶ際に使われた場所、小さな港などです。栽培から輸送までの道筋が、一帯の景観を構成しています。
畑で収穫し、醸造し、樽を運び、船に積む。この一連の仕事には、畑の配置、道の幅、海へ出られる場所が関係しました。黒い地面の溝も、単なる傷ではなく、生産と港を結んだ繰り返しの跡です。
海は塩や強風を運ぶ厳しい隣人である一方、遠方へ製品を届ける道でもありました。海岸に畑を置くことには、この二つの面があります。
保存すべきものは、石垣だけではない
ユネスコの解説によれば、この栽培景観は15世紀以降に発達し、19世紀に繁栄した後、病害などで大きな打撃を受けました。現在の区画すべてが、同じ時期から同じ状態で使われ続けているわけではありません。
壁を残せば景色の輪郭は残ります。しかし、ブドウを育て、壁を補修し、畑へ通う営みが失われれば、農業景観としての仕組みは変わってしまう。ピコ島の石垣は、火山の岩と大西洋の風に応じて、人が長く手を入れてきた土地の形なのです。