エジプト西部の白砂漠には、白いキノコのような岩が点在しています。大きな頭を細い脚が支える姿は、誰かが彫刻を置いたかのようです。しかし材料は雪でも塩でもなく、海でできた白い堆積岩でした。
形をつくった主役の一つは、砂を運ぶ風です。ただし、風だけを想像しても、どこが削られ、どこが残るのかは分かりません。岩の性質、割れ目、風化による弱まりを重ねることで、あの不思議な輪郭が説明できます。
白砂漠の白さは、砂だけの色ではない
ファラフラ周辺の白砂漠では、白亜紀後期の海成層であるホマン層のチョークなどが露出しています。チョークは、炭酸カルシウムに富む細粒の石灰岩。海の微小な生物に由来する物質が堆積し、固まってできる岩石です。
白い粉を表面に振りかけた地形ではなく、岩の内部まで白い材料が続いています。周囲を砂が移動していても、立っている白い岩と砂丘は別のもの。その区別だけでも、この景観の成り立ちはずいぶん明瞭になります。
岩を削るのは、空気だけではなく運ばれる粒
岩を削る力を考えるとき、風速だけに注目するのでは足りません。運ばれる砂粒が繰り返し岩へ衝突することで、表面が磨かれ、溝や窪みが発達します。
砂粒は、ほこりのようにすべてが高く舞い上がるわけではありません。地面の近くを跳ねながら移動する粒も多く、岩の下部へ強く作用する条件が生まれます。下側がえぐられ、上側が張り出す形を考えるうえで、この高さの違いが大切です。
キノコ形の残り方を説明する概念図です。特定の岩の復元ではなく、岩質・節理・水による風化なども関係します。
キノコの頭が残る、削られ方の差
同じ白い岩でも、硬さや割れ目の状態は一様ではありません。岩が固くなっている部分、層の性質が違う部分、風化が進んだ部分では、同じ砂粒を受けても減る速さが異なります。
下部がより速く失われ、上部が相対的に残れば、細い台座に載った岩になります。ただし、白砂漠のすべてのキノコ形の岩に、同じ厚さの硬い帽子がある、とまでは言えません。地表付近の摩耗と岩質の差が、場所ごとに異なる割合で効いているからです。
割れ目が区切った岩を、風化と侵食が仕上げる
広い岩盤から孤立した岩が残るには、周囲の材料を取り除く必要があります。その区切りの一つが節理などの割れ目で、内部へ水や空気が入ると、表面からは分からない弱まりも進行します。
その場で岩を崩れやすくする風化と、削り取って運ぶ侵食は、重なって働きます。現在の乾燥した姿だけから、雨や水、過去の異なる環境の役割まで除外することはできません。
白い岩ができる時間と、キノコになる時間
チョークに含まれる微小な生物由来の粒子は、もともと海で生まれたものでした。海底へ降り積もり、埋まり、固まるまでの過程と、その岩が地表で削られる過程は、別の時間帯に起きています。
「白亜紀の岩」と記されていても、その時代からキノコの姿で立っていたわけではありません。地層の形成時期は化石や周囲の層との関係で調べられますが、現在のくびれがいつできたかには、別の証拠が必要です。材料の古さを、そのまま彫刻の古さに置き換えることはできないのです。
また、砂粒が衝突して削る速さは、風の強さだけでなく、砂の量や粒径、岩の弱まり方にも左右されます。写真に写る細い脚の幅から、崩れるまでの年数を単純に逆算することもできません。白砂漠の造形は、長い地質史の上に、変動する地表の作用が重なったものです。
エジプト環境当局の管理計画でも、白砂漠の地質にはチョークだけでなく、石灰岩や泥質の地層、鉱物の集まりなどが記載されています。一枚の白い均質な板を、風が同じ調子で削った場所ではないのです。
完成した彫刻ではなく、崩れる途中の形
キノコ形は、侵食が最終的に目指す形ではありません。細い支えがさらに削られたり、割れ目が広がったりすれば、上部が落ちることもあります。現在の姿は、岩が分離してから失われるまでの途中の段階です。
白砂漠では、海で堆積した物質が陸上へ現れ、細かく砕かれ、再び運ばれていきます。白い岩の造形は、海の歴史と乾いた地表の作用が出会った結果。見慣れない形ですが、材料ができる過程と削られる過程を分けると、奇妙さの中に具体的な理由が見えてきます。