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関東平野はどうやってできたのか 海だった土地と川が運んだ土砂

公開日

東京から埼玉、千葉、茨城へと続く市街地や田畑。その平らな地面の下には、昔の海底、川が刻んだ谷、砂や泥が積もった層が隠れています。関東平野は、山を削って平らにしただけの土地でも、一度の海の後退で現れた土地でもありません。

土砂を受け入れる場所が地殻の動きで生まれ、海面が上がったり下がったりする間に、川と海が違う堆積物を重ねてきました。現在の低地と台地は、その長い歴史の異なる部分が地表に現れたものです。

広い平野の地下にある、厚い堆積物

山地では雨や川が岩石を削り、土砂を下流へ運びます。しかし、運ばれた土砂がどこにでも厚く積もるわけではありません。川が地面を深く削る場所もあれば、海へ流れ出てしまう場所もあります。大量の土砂が長期間たまるには、それを受け入れる空間が必要です。

関東平野では、地殻変動によって広い範囲が沈降してきたことが、その空間の形成にかかわっています。底がゆっくり下がる一方、周囲の山地から砂や泥が供給され、地層が重なりました。地表が平らでも、地下の基盤まで平らで浅いとは限らないのです。

関東の全域が同じ速さで沈んだわけでもありません。地域ごとに沈降や隆起の程度は異なり、同じ時期の地層が違う深さに現れる場合があります。地下の貝化石や火山灰層を照合すると、今の地表だけからは見えない動きまで分かります。

氷期の海面低下で、川が深い谷を刻んだ時代

地球が寒冷だった時期には、多くの水が陸上の氷床として蓄えられ、海面が現在より低くなりました。川の出口である海が低くなると、川は下流側の地面を掘り下げる方向に働きます。現在は低地の下に埋まっている谷の中には、こうして形成されたものがあるのです。

今の東京低地や中川低地を、昔から平らな面が続いていた場所と想像すると、この地下の谷を見落とします。ボーリングで採取した地層をつなぐと、谷底にたまった礫、その上を覆う砂や泥など、地形が埋まった順序をたどれます。

「平野の地下に谷がある」と聞くと逆説的ですが、平野は古い凹凸を土砂が覆うことでも成長します。地上から谷が見えなくなったことと、谷の形やそこを埋めた地層が消えたことは、同じではありません。

谷・入り江・低地へと変わった場所
海面が下がった時期に川が谷を削り、上昇すると谷が入り江になり、土砂が堆積して低地になる三段階の断面。両側の台地は低地とは異なる高さに残る。

関東の低地ができた過程の一部を単純化しています。関東平野全体が同時に海だったという意味ではなく、長期的な地盤の沈降や台地の形成も関わります。

縄文海進で内陸へ入り込んだ海

氷期が終わり、氷床が縮小すると、海面は上昇します。低い谷に沿って海が内陸へ入り込み、入り江が広がりました。縄文時代前半ごろのこの海の広がりは、縄文海進として知られています。

現在の海岸線から離れた場所に、海の貝を含む地層が見つかる理由の一つが、この変化です。ただし、関東平野のすべてが一度に海の底になったという意味ではありません。比較的高い台地は陸として残り、低い谷へ海が入り込むため、海岸線は複雑な形になりました。

貝塚の位置も海とのかかわりを考える手がかりですが、人が貝を運んで積み重ねた場所を、そのまま当時の波打ち際とはみなせません。貝の種類、周辺の地層、地形などを照らし合わせて、海岸の位置を復元していきます。

川の土砂が入り江を埋め、低地へ変えた過程

海面の上昇が緩やかになると、川の運ぶ土砂が入り江を埋める働きが目立つようになります。川が海や湖へ出て流れが広がる場所は、砂や泥がたまりやすい場所。その堆積が長く続けば、河口付近の浅瀬も陸地へ変わっていきます。

利根川や荒川などの河川は流路を変えながら、関東の低地に堆積物を供給してきました。氾濫の際には川からあふれた水が土砂を広げ、流路に近い場所に自然堤防、その背後の低い場所に細かい泥のたまる湿地が生じます。低地も、拡大すれば細かな起伏の組み合わせです。

ここで、海が退いた理由を海面低下だけに求めないことが大切です。海面が大きく下がらなくても、河口に土砂が積もれば海岸線は沖へ進みます。地面の隆起、海面の変化、堆積の進み方。その組み合わせによって、同じ時期でも場所ごとの海岸線の動きは異なりました。

武蔵野台地と下総台地が、低地より高い理由

関東平野には、東京の西側に広がる武蔵野台地や、千葉県側の下総台地なども含まれます。「平野」は、低い沖積地だけを指す言葉ではありません。市街地で突然現れる坂や崖は、台地と低地の高さの違いが見える場所なのです。

武蔵野台地には、多摩川がつくった扇状地や河岸段丘の来歴があります。一方、下総台地には、かつての浅い海などにたまった地層が広く分布します。台地という同じ名前でも、地面の材料を運んだ仕組みは一様ではありません。

これらの面が隆起したり、海面低下に伴って川が掘り下げたりすると、古い平坦面が周囲より高く残ります。その上には、周辺の火山に由来する火山灰などが長い時間をかけて積もり、関東ローム層の形成にもつながりました。火山灰だけで台地全体ができた、というわけではないのです。

同じ平らな街でも違う、地面の来歴

現在の関東には、自然の堆積でできた低地に加えて、人が海を埋め立てた土地もあります。また、江戸時代以降の河川改修によって、川が水と土砂を運ぶ先も変化しました。自然の長い時間と、人の数百年単位の改変が重なったのが、現在の平野です。

古い川筋、台地の縁、海だった場所は、標高図や地形分類図で確かめられます。街の坂がなぜそこにあるのか、川の近くに微妙な高まりが続くのはなぜか。地下の歴史とつなげれば、普段の道にも地形としての理由が見つかるでしょう。

関東平野は、海が去った跡というより、沈み、削られ、沈み込んだ谷を埋め、再び持ち上がる過程が重なった土地です。平らさは変化の乏しさを示すのではなく、長い変化の結果として残っています。

参考資料

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