バルト海は北海を通じて大西洋につながっています。それなのに、水の塩分は一般的な外洋よりずっと低く、北や東の奥まった海域では淡水に近い場所さえあります。海とつながっていれば、いずれ同じ塩辛さになるようにも思えるでしょう。
実際には、バルト海へ入る川の水と、狭い入口から出入りする海水の量がつり合って、独特の薄い海水が保たれています。しかも一様に混ざっているわけではありません。南北方向にも深さ方向にも、塩分の違う水が分布しているのです。
広い流域からの淡水と、デンマーク海峡の狭い入口
ネヴァ川やヴィスワ川などは、周囲の広い陸地に降った雨や雪をバルト海へ届けます。海面への降水も加わるため、蒸発で失う量より多くの淡水が流域から供給されるのです。
一方、北海側との間にはデンマークの島々が並び、水の交換は狭く浅い海峡に限られます。入口が完全に閉じているわけではないものの、外洋の海水が自由に大量流入する形でもありません。
台所の容器にたとえるなら、淡水を注ぎ続ける一方で、外から濃い水を入れる通路が限られている状態に近いでしょう。ただしバルト海は、蛇口を止めた容器とは違います。流入と流出が続くことで、海水と淡水の中間である汽水の状態が維持されています。
南西ほど濃く、北や東へ進むほど薄い海水
塩分の低さは、バルト海全域で同じではありません。北海から海水が届きやすい南西部では比較的高く、入口から離れたボスニア湾北部やフィンランド湾奥では低くなります。
HELCOMの第三次総合評価では、表層の実用塩分は、入口のエーレスンドで約15〜18、中央部で約7〜8、北部・東部で約0〜2とされています。一般的な外洋の約35とは大きな差。ただし、これらは場所や季節によって変わる塩分分布の代表値であり、海域ごとに固定した数値ではありません。
北ほど冷たいから塩がなくなる、という関係ではありません。淡水の供給と外洋からの距離、途中の海底地形が、水の混ざり方を変えるのです。北欧の地図に描かれた一本の海岸線の内側にも、水質の違う海域が連なっています。
デンマークの海峡群を一つの入口にまとめた概念断面です。塩水の流入は風や水位にも左右され、常に一定ではありません。
薄い水が外へ、濃い水が底を通って内へ
塩を多く含む水は、温度など他の条件が同じなら密度が高くなります。そのため、海峡では比較的薄い表層水が北海側へ流れ出る一方、濃い水が深い側からバルト海へ入り込む、上下に分かれた交換が起きます。
濃い水が入っても、ただちに海全体へ均等に混ざるわけではありません。海底近くへ潜り込み、途中の浅い敷居を越えながら、深い盆地へ広がります。上に軽い水、下に重い水という配置ができると、上下を入れ替えるには余分な力が必要になるのです。
もっとも、実際の流れは毎日同じではありません。風や気圧、海面の高さの違いに左右され、ときには北海から大量の塩水が入り込むこともあります。こうした間欠的な流入と日常的な交換を合わせて、長期的な塩分の収支が成り立っています。
海の魚と淡水魚が同居する汽水域
「海だから海水魚だけ」という区分は、バルト海には当てはまりません。海に由来する魚と淡水に由来する魚が、塩分や水温など、それぞれに適した条件の場所に分布しています。
外洋から入ってきても、薄い水の中では繁殖できない魚もいます。生きた個体が見つかることと、そこで世代を重ねられることは別問題。HELCOMも、北海から一時的に来る海産魚と、バルト海で繁殖する魚を区別しています。
同じ海の中で魚の顔ぶれが変わる理由は、緯度だけではありません。海水と淡水がどの割合で混じるかが、生息範囲の境界をつくっているのです。
底へ届きにくい酸素と、海底の敷居
上下の密度差が強い場所では、酸素を含む表層水が底へ混ざりにくくなります。底へ沈んだ有機物の分解で酸素が使われると、供給が消費に追いつかなくなる場合があります。
ただし、バルト海の底がどこも同じ状態なのではありません。中央部の深い海盆と、塩分の低いボスニア湾北部では成層の強さが異なり、海盆の間にある浅い部分も深層水の移動を制限します。
塩水が酸素を運び込んでも、すでにある深層水を別の場所へ押し出す作用が伴うため、海全体の環境が一度に改善するとは限りません。バルト海の低い塩分は味の違いにとどまらず、水の循環、生物の分布、深い海底の環境まで左右しています。