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ピレネー山脈はなぜ半島の付け根にあるのか イベリアの移動が残した山並み

公開日

イベリア半島をヨーロッパ本土につなぐ場所には、ピレネー山脈が横たわっています。地図を見ると、まるで半島の付け根に山の壁を置いたような配置です。しかし、半島の形に合わせて山ができたわけではありません。

この位置には、かつて別々に動いていたイベリア側とヨーロッパ側の大地が接近した境界があります。離れる時代に薄くなった地殻が、のちに押し縮められて厚くなった。その長い変化の結果が、現在の山並みと半島の輪郭なのです。

ヨーロッパに固定されていなかったイベリア

現在の地図では、スペインとポルトガルはヨーロッパ大陸の南西端です。ところが地質の時間で見ると、イベリアは初めから同じ位置に固定された部分ではありませんでした。

中生代、大西洋やビスケー湾が開いていく過程で、イベリアはヨーロッパに対して位置や向きを変えました。両者の間にあった地帯では地殻が引き伸ばされ、沈み込んだ場所に海の堆積物がたまります。

山脈になる前の地域は、むしろ引き離されて低くなる場所だったのです。現在の高い山を、そのまま過去へ投影すると、最初の重要な段階を見落としてしまいます。

引き伸ばされた境界が、押し縮められる場所へ

白亜紀後期以降、イベリア側とヨーロッパ側の相対運動は接近する方向へ変わり、山脈をつくる変形が進みました。地層は折れ曲がり、断層に沿って岩体が別の岩体の上へ乗り上げます。

これを、二つの硬い板の端が衝突して上だけへ突き出した、と考えるのは不十分です。地殻の一部は相手側の下へ入り込み、地表から見えない深部でも重なりが増えました。地殻が厚くなる変化と、表面が高くなる変化が結び付いています。

以前に地殻が伸びた場所の断層や、厚くたまった堆積物も、その後の変形に影響しました。同じ場所が「沈む盆地」から「高くなる山地」へ転じることを、地質学では盆地の反転として扱います。

伸張から圧縮へ転じた、ピレネーの境界域
上はイベリア側とヨーロッパ側の間が引き伸ばされ、低い盆地ができる段階。下は接近によって地層が変形し、地殻が厚くなって山地になる段階。

長い形成史を二段階に単純化した模式断面です。岩体の重なりや深部構造の正確な形、年代ごとの位置を再現したものではありません。

古い岩石と新しい山脈は、別の年齢

ピレネーの中央部には古生代の岩石や花崗岩、その両側には、より後の時代に堆積して折り畳まれた地層が現れています。これらの岩石の年齢は、今の山脈が育った時期と同じではありません。

数億年前の岩石が山頂で見つかっても、その山頂が数億年前から同じ高さにあったとは限りません。古い岩石が地下で別の変形を経験し、後の隆起と侵食によって地表へ現れることもあるからです。

反対に、海でたまった石灰岩が高い場所にあるのは、海面が今の山頂まで上がった証拠とは限りません。地層そのものが持ち上げられ、傾き、移動した結果でもあります。ピレネーには、この異なる時代の記録が重なっています。

山の両側に育った、土砂を受け止める盆地

山脈の成長は、山だけで完結しません。大きな荷重で周囲の地殻がたわむことなどにより、山の前面には堆積物を受け止める低地が発達しました。北側のアキテーヌ盆地、南側のエブロ盆地は、ピレネーの歴史と切り離せない存在です。

山が高くなると侵食が進み、川は削った礫や砂を周辺へ運び出します。山から出たばかりの場所には粗い礫が、さらに離れた場所には細かい粒がたまりやすくなります。

こうした地層には、どの方向から土砂が届いたか、いつ山側の岩石が削られ始めたかという手掛かりが残ります。山の成長記録は山頂だけにあるのではなく、麓に積もった地層にも保存されているのです。

山脈をつくる力と、谷を刻む氷河の違い

ピレネーの険しい谷や湖には、その後の氷河の働きも表れています。ただし氷河が山脈全体を持ち上げたわけではありません。すでに高くなった地域を削り、谷を広げたり、くぼみを残したりしたのが氷河です。

プレートの運動が大きな骨格をつくり、川や氷河、斜面の崩壊が細部を変える。現在の姿は、この二種類の働きが重なったものです。山脈の形成を一つの出来事の日付にまとめることはできません。

半島の付け根に山があるのは偶然の飾りではなく、イベリアがヨーロッパへ組み込まれた過程の名残です。地図上の「つながっている場所」が、地質的には大地の接近と変形が集中した場所でもある。その一致に、ピレネーの成り立ちが表れています。

参考資料

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