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ハンガリーにはなぜ広い平原があるのか パンノニア盆地に残る湖と川の歴史

公開日

ハンガリーの大平原を眺めても、足元にかつて広い湖があったとは気付きにくいでしょう。周囲にはアルプスやカルパチア山脈などがあるのに、その内側には見渡す限りの低地が広がっています。

この地形は、山が単に削られて平らになったものではありません。地殻が引き伸ばされて沈む盆地ができ、そこへ海や湖の堆積物、のちには川の土砂がたまった結果です。沈む地面と、それを埋める物質の両方が、平原の成り立ちに関わっています。

山々の内側にある、国境より大きな盆地

ハンガリーを中心に広がるパンノニア盆地は、現在の国境で終わる地形ではありません。周辺国にも続く盆地の一部が、ハンガリーの広い平原を占めています。

盆地というと、四方を山に囲まれた小さなくぼみを想像しがちです。しかし、この地域では盆地の中にも山地や丘陵があり、その間に複数の深い堆積域が隠れています。地表の平らさと、地下の岩盤の形は一致しません。

地下には厚い堆積物が重なり、古い岩盤の高まりや断層が覆われています。平原とは、何も起きなかった平らな岩の板ではなく、長く物質がたまり続けた場所でもあるのです。

周囲に山ができる時代の、内側の引き伸ばし

新生代の中新世、この地域では地殻が引き伸ばされ、断層の運動とともに低くなる場所が発達しました。周辺で山脈をつくる接近運動が起きていたのに、内側では伸びる変形も進んだのです。

一見矛盾しますが、沈み込むプレートの位置が移動することや、大地のブロックが横へ動くことにより、地域ごとの変形は異なります。周囲が押されているから、その内側もすべて同じように縮むとは限りません。

引き伸ばされた地殻や、その下の高温の部分が後に冷えることも沈降に関わりました。ただし、盆地全体が一度に、同じ速度で沈んだわけではありません。研究では、断層が活動した時期や堆積物の厚さの違いから、場所ごとの変化が調べられています。

海から分かれたパンノン湖と、内陸の水の世界

この地方には海が広がった時代があり、その後、外側の水域とのつながりが変わりました。約1150万年前ごろには、周囲から隔てられたパンノン湖の歴史が始まります。

「パンノニア海」という呼び名と、パンノン湖は日常の説明で混ざりがちです。しかし、外海とつながる海だった段階と、独自の環境を持つ湖になった段階では、塩分や生物の条件が異なります。

湖には固有の生物が発達し、その化石が地層の年代や環境を調べる手掛かりになりました。現在の畑の下に見つかる貝の化石は、ただ「昔は水があった」と示すだけではなく、どの時代の、どのような水域だったかを区別する材料なのです。

デルタの前進によって湖が平原へ変わる過程
上は河口のデルタの先に深い湖が残る段階。下は同じ場所へ土砂が供給され続け、デルタが前進して浅い水域や陸地が広がる段階。

パンノン湖を埋めた一つの作用を示す模式断面です。盆地の沈降、水位変化、複数方向からの土砂供給は省略しており、湖全体が一斉に埋まったわけではありません。

湖を消したのは、蒸発だけではない

湖から平原への変化を、浴槽の水が乾くように想像すると、大切な物質の移動が抜け落ちます。パンノン湖では、周囲から運ばれた土砂が湖を埋めていきました。

河口のデルタが前進すると、その先にあった深い湖底も、次第に浅い沿岸へ、さらに川が流れる陸地へと変わります。同じ場所を掘ったとき、下には湖底の堆積物、上には河川の堆積物が現れるのは、こうした環境の交代が縦に重なるためです。

しかも埋まり方は一様ではありません。北西側からの大きな土砂供給と、北東側などからの供給では進み方が異なりました。湖全体が同じ日に干上がったのではなく、水域が移り、縮み、低地へ置き換わっていったわけです。

現在の川とバラトン湖に続く、別の地形史

湖が埋まった後も、地形の変化は続きました。ドナウ川やティサ川などの流路、洪水で運ばれる土砂、風で運ばれる細粒の物質が、現在の平原の表面をつくっていきます。川筋の変更や治水も、今日の水辺の配置に加わっています。

ここで、現在のバラトン湖を「パンノン湖が縮んで残った水たまり」と考えるのは正確ではありません。バラトン湖の盆地と湖水の歴史は、数百万年前の広大な湖よりずっと新しく、第四紀後半の地形変化に関わるものです。

古い湖の堆積物が地下にあることと、同じ湖水域が途切れず残ることは別です。ハンガリーの平原と湖を結び付けるのは、一度の水の消失ではありません。盆地が沈み、埋まり、その上で新しい川や湖が生まれるという、重なり合った歴史なのです。

参考資料

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