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北ヨーロッパの平野はどうできたのか 氷河が運んだ土と広大な低地

公開日

北ドイツからポーランド方面へは、アルプスのような高山を越えずに広い低地が続きます。しかし、その平野を細かく見ると、丘の列、砂地、湖、幅広い川の谷が入り組んでいます。

この違いをつくった大きな力が、北から広がった氷床と、その融け水です。氷は地面を削っただけではなく、土砂を運び、押し集め、水と風に材料を受け渡しました。平野の地表には、それぞれの運び手が残した異なる地形が並んでいるのです。

低い土地を覆った氷と、消えた後の堆積物

北ヨーロッパの広い低地には、氷期以前から続く地質的な土台があります。そこへ第四紀の寒冷期にスカンディナヴィア方面の氷床が広がり、表層の地形を繰り返し作り変えました。平野の地下全体が、氷の運んだ土だけでできているわけではありません。

氷床の下では、岩片や砂、細かい泥が混ざった物質が運ばれます。氷が去ると、それらが地表を覆いました。流れる水が粒の大きさを選り分けて堆積させるのとは違い、氷河性の堆積物には異なる大きさの粒が混在するものがあります。

こうした材料からできる緩やかな台地もあれば、氷に押されて盛り上がった丘もあります。「平野」は高山がないという大きな区分であり、足元まで完全に水平という意味ではないのです。

氷の縁を境に並ぶ、丘・砂礫地・幅広い谷

氷床の先端が同じ場所にしばらくとどまると、運ばれた土砂が縁に集まり、堤防状の丘を残すことがあります。その外側では、氷から出た融け水が砂や礫を広げました。

さらに流れが集まる先には、氷の縁に沿った大きな排水路が発達します。北ドイツなどで「ウルシュトロームタール」と呼ばれる、幅広い融氷水の谷です。

氷の下にあった台地、縁の丘、その前面の砂礫地、融け水を集める谷。この並びは、同じ氷床の周囲で異なる作用が働いた結果です。ただし実際には、後の氷の前進や川の侵食で一部が失われ、教科書どおりの順番が完全に残るとは限りません。

氷床の外側に並ぶ丘、砂礫地、融氷水の谷
上から見た模式図。氷床の縁に丘が並び、その外へ融け水が扇状に砂礫を広げ、さらに外側の幅広い谷へ集まって流れる。

代表的な配置で、地図・年代図ではありません。実際には複数回の氷の前進や侵食で、一部が欠けたり重なったりします。氷の下の地形は表示していません。

現在の川より大きな谷が残るベルリン

ベルリンの地形には、ワルシャワからベルリン方面へ続く融氷水の谷と、その両側の台地が表れています。谷底には主に砂や礫、台地には氷河が残した堆積物が分布し、地下水の通り方も異なります。

今日の川だけを基準にすると、谷が広すぎるように感じるかもしれません。かつては現在と違う量・経路の融け水が流れ、その後に水系が組み替わったためです。今の川が、古い大きな谷の一部を利用していることもあります。

ベルリン市の地質資料は、このような砂礫層を地下水とも結び付けて説明しています。都市の道路や建物の下にも、氷期の排水経路が残り、現在の地下の水環境に関わっているのです。

氷が来なかった場所にも積もった黄土

氷床の外側にも、寒冷期の影響は及びます。植生の乏しい地面や融け水の堆積地から風が細かい粒を巻き上げ、離れた場所へ運びました。このような風成の細粒堆積物が黄土、レスです。

ドイツの低地南縁などには、黄土に由来する肥沃な土壌の広がる地域があります。氷に直接覆われた場所の堆積物と、風が運んだ土を区別すると、同じ平野の中で農地や森林の分布が違う理由の一部がつかめます。

もちろん、砂地だから必ず森林、黄土だから必ず畑になるわけではありません。排水、地下水位、土壌の発達、土地の管理も必要な条件です。それでも、土の材料がどこから来たかは、長く残る違いの一つなのです。

一枚の氷では説明できない、古い地形と新しい地形

北ヨーロッパの氷床は、一度広がって消えただけではありません。複数の寒冷期に前進と後退を繰り返し、最後の氷が届いた範囲と、それ以前に覆われた範囲も異なります。

比較的新しい氷河地形が残る地方では、丘や閉じたくぼみ、湖が目立ちます。一方、古い地形は、川や斜面の作用を長く受け、くぼみが埋まるなどして輪郭が和らぎました。氷から解放された後に過ごした時間も、景色の違いに関わっているのです。

北ヨーロッパの平野は、氷が大地を一様に平らにした跡ではありません。氷、水、風が別々に材料を運び、その後の時間が形を変えた場所です。広い低地の中の小さな高低差にも、異なる運搬と堆積の歴史が残っています。

参考資料

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