北アメリカの地図では、カナダの中央部が大きくえぐられ、そこに海が入り込んでいます。ハドソン湾です。大西洋の海岸線から遠く離れた場所まで青い水域が広がるため、巨大な湖のようにも見えるでしょう。
この湾をつくったのは、一度の出来事ではありません。もともと存在した大陸内部の低い地質構造に、氷床による侵食と地面の沈降、氷が退いた後の海の侵入と隆起が重なっています。海岸線の位置は、現在もゆっくり変化しているのです。
湖ではなく、海峡で大西洋につながる海
ハドソン湾は、北東のハドソン海峡を通じてラブラドル海へつながる海です。周囲から多数の川が流れ込む一方、外海との間では海水が出入りしています。川の水を受けることと、湖であることは同じではありません。
南側にはジェームズ湾が延び、海岸は大陸のさらに奥へ入り込みます。NASAの説明では、ハドソン湾の面積は約123万平方キロメートル。日本列島をいくつも収められるほどの広い水域ですが、これは海面の広がりであり、地下の地層がつくる盆地の範囲とは一致しません。
氷河時代より古い、地層の盆地
地下に目を向けると、ハドソン湾周辺には古生代の地層が積み重なる大きな堆積盆地があります。堆積盆地とは、地面が相対的に低く、土砂や海中の堆積物を長く受け入れてきた場所のこと。現在の湾よりも、はるかに長い歴史を持っています。
カナダ地質調査所の研究では、石灰岩やドロマイト岩など、浅い海でできた地層が確認されています。古い大陸の岩盤の上に、さらに海の歴史が重なっているのです。最後の氷期に氷が押しつけられ、初めて何もない場所に湾のくぼみができた、という説明では足りません。
盆地の形成には、地殻が引き延ばされる運動や断層などが関わったと研究されています。ただし、その沈降史を一つの仕組みだけで説明し切れているわけではありません。数億年前の盆地の形成と、数万年前からの氷床の変化は、分けて考える必要があります。
岩盤を削る作用と、重みで沈める作用
氷期には、ローレンタイド氷床という巨大な氷の塊が、カナダの広い範囲を覆っていました。氷が流れると、底に取り込まれた砂や石が岩盤を削り、砕いた物質を運びます。これは、地形を削り取って変える作用です。
それとは別に、厚い氷の重みは地面を押し下げました。地球の内部は、長い時間で見れば少しずつ変形するため、巨大な荷重を支えた陸地は沈みます。岩が削られて低くなることと、岩盤を含む広い範囲が押し下げられること。この二つは、同時に起こり得ても別の現象なのです。
氷床の荷重と氷期後の地盤上昇に限った模式図です。湾の下には氷期よりはるかに古い堆積盆があり、この図はその起源を説明するものではありません。海面は比較のため固定し、地盤の変位と水深は誇張しています。
氷が退いた後に残る、海の入り込める高さ
氷床が融けると、押されていた陸地は持ち上がり始めます。しかし、氷が消えた瞬間に、地面がすべて元の高さへ戻るわけではありません。まだ低い場所には海が入り込み、後から陸地の隆起が追いかける形になりました。
そのため、氷が退いた頃の海岸線は、現在の海岸線より内陸側にありました。かつて波が打ち寄せた浜が、今では陸の上に残っています。湾の成立を理解するには、氷の位置だけでなく、当時の陸と海の高さの関係も欠かせません。
内陸に並ぶ、昔の浜の跡
オンタリオ州側の海岸では、細長い浜の跡が何列も並ぶ様子を衛星画像で確認できます。古い浜ほど内陸側の高い場所にあり、海岸に近づくにつれて若い浜へ移っていくという並びです。波や沿岸の流れが積み上げた砂礫が、陸地の隆起によって取り残されました。
NASAがカナダ地質調査所の専門家と紹介した場所では、最も古い高所の浜は約7,500年前のもので、当時の海面は陸地に対して現在より約130メートル高かったとされています。この130メートルは、世界中の海面が一様にそれだけ高かったという意味ではありません。沈んでいた地面が、その後どれほど持ち上がったかが大きく反映されています。
地球全体の海面上昇と、湾岸の海面低下
2026年版のカナダ気候変動報告書でも、ハドソン湾西部では陸地の隆起により、陸に対する平均海面が低下してきたと整理されています。世界の平均海面が上昇する中でも、地面のほうが速く上がれば、岸から見た海は低くなるのです。
これは「温暖化で海面が上がる」という説明の例外ではなく、基準の違いでしょう。海水の高さの変化と、陸地の高さの変化を差し引いたものが、その場所の相対的な海面変化です。湾岸の港や浅瀬の条件も、こうした長期の地形変化と無関係ではありません。
ハドソン湾は、古い盆地に単に水を注いだだけの形でも、氷が一度に掘った穴でもありません。長い地質史の上に、氷の重みとその解放が加わり、現在の海岸線ができています。地図では止まって見える大陸の輪郭も、その調整をまだ終えていないのです。