赤道に近い国の大都市というと、蒸し暑い海辺を想像するかもしれません。ところが、コロンビアの首都ボゴタは標高約2,600メートル、メデジンの中心部は約1,500メートルの高さにあります。どちらもアンデスの山地の中ですが、街を支える地形は同じではありません。
ボゴタは高原の広い平坦地、メデジンは中央山系のアブラー谷に発達した都市です。標高が熱帯の暑さを和らげ、平らな土地と水が暮らしの土台になりました。そこに先住民社会、植民地統治、交易や産業の歴史が重なり、山の中に大きな人口を集めたのです。
赤道からの距離より、標高が生む気温差
二つの都市はともに熱帯にありますが、ボゴタのほうが約1,100メートル高い場所に位置します。一般に、対流圏では標高が高くなるほど気温は低くなる傾向があるため、近い緯度でも高原と低地の気候は大きく違います。
もちろん、標高だけで毎日の気温が決まるわけではありません。雲、雨、風、都市化による熱の蓄積も関係します。それでも、海辺の熱帯都市と高原のボゴタを同じ暑さで考えられない理由として、この千メートル単位の高度差は欠かせません。
山地の中に広い面を持つボゴタ
ボゴタがあるのは、東部山系の高原に広がる「サバナ・デ・ボゴタ」です。高原という言葉から、急斜面ばかりの場所を想像する必要はありません。周囲の山地より低い盆地の内部に、広い平坦な土地があるのです。
この土地の地下には、古い湖、湿地、河川の堆積物が残されています。コロンビア地質調査所が調べた長い堆積記録にも、湿地や流路の多い環境から湖への移り変わりが刻まれていました。現在の街路の下にあるのは、長い間まったく変わらなかった平面ではなく、水辺の環境が入れ替わる中で積もった地層なのです。
別々の場所の地形を説明する概念図で、二都市間の連続断面ではありません。各都市の代表的な高度を丸めて記載し、図の高さ・幅・傾斜は縮尺を合わせていません。市街地は斜面側にも広がっています。
植民都市より前から続く、高原の農業と交易
ボゴタ周辺は、スペイン人が到来する前からムイスカの人々が暮らす地域でした。高原には農業を営む集落が分布し、塩などの産物を介した交易もありました。「暑い低地を避け、何もない山上に新しい街を置いた」という始まりではありません。
1538年の植民都市の成立後、統治や宗教の機能が集中し、後には独立国の首都となりました。行政、教育、商業の施設が集まる場所には、さらに人と仕事が集まります。住みやすい地形という条件に、政治的な中心地としての歴史が加わったことが、ボゴタの成長を説明する鍵です。
川に沿って伸びるメデジンの市街地
一方のメデジンは、高原の広い面というより、山並みに挟まれたアブラー谷の都市です。谷底は南北方向へ伸び、川の両側から斜面が立ち上がります。ボゴタと比べると、平らな土地を横へ広げる余地が限られる地形といえるでしょう。
そのため、市街地は川に沿って連なり、人口の増加とともに斜面にも広がりました。隣接するベジョ、イタグイ、エンビガドなどの都市と合わせ、谷全体が一つの大きな都市圏を形づくっています。地図上の自治体境界と、地形に沿って続く市街地のまとまりは別のものです。
金とコーヒーを海へ運んだ、山越えの交通
メデジンの発展には、アンティオキア地方の鉱業、商業、コーヒー、そして工業の成長が関わっています。谷の気候が穏やかだっただけで、大きな商工業都市になったわけではありません。周辺の産物を集め、加工し、遠くへ売る働きが重要でした。
そこで障害になったのが、山地と港の間の輸送です。アンティオキア鉄道は、メデジンをマグダレナ川沿いのプエルト・ベリオと結ぶために建設されました。ただし、一度に完全開通したわけではなく、1914年にメデジンへ達した後も、ラ・キエブラの山越え区間が残りました。1920年代後半のトンネル建設は、山の都市が外の市場と結び付くまでに必要だった大工事の一つです。
高原と谷で異なる、都市の広がり方
ボゴタでは、広い高原面が市街地の拡張を受け止める一方、湿地や河川の残る土地との調整が課題になります。メデジンでは、谷底の交通軸と斜面の住宅地をどう結ぶかが重要です。山地の都市という共通点だけでは、街の形まで同じにはなりません。
谷底に沿う鉄道と、斜面へ向かうケーブル交通。メデジンの交通網には、異なる方向の移動を組み合わせる工夫があります。山に囲まれていても、広い平地のあるボゴタと、谷に沿って連なるメデジンでは、移動の条件が違うのです。両市を分けるのは標高の数字だけではありません。