環礁と聞くと、輪になったサンゴ礁と、海面近くに並ぶ低い島を思い浮かべるかもしれません。ところがミクロネシア連邦のチュークでは、大きな礁湖の中に、山や谷のある島々がそびえています。
外側を囲む礁と、内側の山は、違う材料と過程でできました。山のある島は、かつて大きな火山を構成していた部分です。その火山が侵食され、低い場所が海に覆われた後も、高まりが島として残りました。周囲ではサンゴ礁が発達し、一つの礁の囲いの中に、複数の山の島が収まったのです。
低い島の輪だけではない、チュークの環礁
チュークは、古い地質資料ではトラック、英語ではTrukという名称で登場します。現在のチューク州には離れた島々も含まれますが、ここで扱うのは、中心部のチューク・ラグーンと、それを囲む礁です。
礁湖内には、ウェノ、トノアス、トルなど、火山岩からなる島があります。トル島の高い場所は海抜約440メートル。砂やサンゴの破片が波で積み上がっただけでは、このような山地にはなりません。
一方、外側の礁には、礁由来の物質が集まった低い島もあります。緑に覆われた陸地という点では似ていても、山の島と低い礁の島とでは、土台の岩も高さの成り立ちも違うのです。
一般に環礁は、火山島が中央に露出していない、輪状の礁を指します。その意味では、山を残したチュークは典型的な環礁ではありません。地質学の文献では「ニア・アトール」、つまり環礁に近い形として区別されることがあり、外側の輪と内側の山が共存する点に特徴があります。
別々の小火山ではなく、大きな火山の名残
島がいくつもあれば、それぞれの場所で火山が噴き出したようにも見えます。しかしチュークの地質調査では、島々は、一つの大きな盾状火山の名残と考えられてきました。
盾状火山は、比較的流れやすい溶岩が重なってできる、裾野の広い火山です。海面から上に見えていた部分の下にも、海底まで続く大きな山体がありました。今の島の数は、そのまま火山の数を表すものではありません。
米国地質調査所が1963年にまとめた調査では、島々の溶岩や岩脈、火山砕屑物を比較し、大きな火山体が侵食され、部分的に水没したという成り立ちを示しています。岩脈は、地中の割れ目へマグマが入り、その場で固まった岩です。海を隔てた露頭にも、かつての火山活動を結び付ける手掛かりが残っていました。
島の輪郭だけでは分かれて見える陸地も、水面下まで含めれば、共通の土台を持ち得ます。チュークの山々は、海面が隠している大きな地形の上部なのです。
谷が海峡へ変わり、尾根が島として残る仕組み
火山の活動が弱まると、雨や川が斜面を削り、山体へ谷が刻まれます。この段階で、山の表面は既に、なめらかな一つの盛り上がりではなくなっています。
さらに地盤の沈降や海面との相対的な位置の変化によって、低い部分まで海が入り込むと、谷は入り江や水路へ変わります。高い尾根や峰だけが水面より上へ残れば、もともと連続していた山地が、いくつもの島に分かれるわけです。
このとき、低くなった山全体をサンゴが覆い尽くす必要はありません。外側の浅い場所で礁が発達し、内側には、山の島と海が混在する地形が成立します。火山体が低くなることと、外縁の礁が海面近くへ成長することは、同時に起こり得ます。
チュークの成り立ちを理解するための模式断面で、特定の測線や二つの年代を復元した図ではありません。上下では水面に対する火山体の位置を変えており、低地の水没を強調しています。山と谷の比率、沈降量、礁の厚さ・位置は実測値ではなく、地形の侵食や堆積、複数回の海面変動は省略しています。
ただし、これは地形の関係を示す説明であって、現在の海峡がすべて昔の川筋と一対一で対応するという意味ではありません。礁の成長、堆積、海面変動も加わり、海底の形は変化してきました。
巨大な火口壁ではない、外側のサンゴ礁
上空から見ると、礁が大きな水面を囲んでいます。この輪郭だけを手掛かりにすると、礁湖全体が巨大なカルデラで、周囲の輪が火口の縁だと思えてしまいます。
けれども、外側の礁は、サンゴなどがつくった炭酸塩の構造です。火山岩の火口壁が、そのまま水面へ円く突き出したものとは区別しなければなりません。
1963年の調査でも、かつての中央火口を示唆する火山砕屑物は報告されましたが、現在、火口壁の地形が残っているとはされていません。昔の火山に火口があったことと、現在の礁の輪がその火口であることは、別の話なのです。
また、山の島から外側の礁までの距離は、どこでも同じではありません。南西側には礁に比較的近い島がある一方、北側では広い水面が間に入ります。島が縮む過程に加えて、礁がどちらへ広がったか、どこに成長の足場があったかも、現在の輪郭へ影響しています。
溶岩の年代に残る、二つの火山活動
山をつくった噴火は、いつ起きたのでしょうか。1984年の研究は、チュークの溶岩の化学組成と年代を調べ、主な山体をつくった溶岩群について、平均約1090万年前という値を報告しました。
一方、山体が侵食された後の火山活動に由来する別の溶岩は、約480万年前と測定されています。大きな山をつくる活動が終わった後にも、異なる性質の溶岩が噴出した時期があったのです。
この二つの年代は、現在の礁湖が1090万年前から同じ形をしていたという意味ではありません。測定されたのは、試料となった溶岩が固まった時期です。山が削られ、低い部分が海へ沈み、今見える礁や島ができるまでには、その後の長い地形変化があります。
「チュークは何歳か」という問いに、数字を一つだけ当てはめることは難しいでしょう。火山の岩、礁をつくる石灰質の部分、海岸へたまった砂では、形成された時期も、その年代が表す出来事も違います。
山の存在が変える、雨水と礁湖の関係
山の島が残っていることは、景観だけの違いではありません。雨は斜面を下り、谷へ集まり、川として礁湖へ流れ込みます。平らな礁の島ではつくりにくい、まとまった地表の流路ができるためです。
1983年の米国地質調査所の水文報告は、長年の降雨と河川の観測を比較し、チュークでは年間降水量の約半分が地表の水として礁湖へ流れ出ると推定しました。これは当時の観測に基づく値ですが、山のある島と周囲の海が、水の移動で強く結ばれていることを示しています。
川は淡水だけでなく、斜面から運ばれる土砂も海へ届けます。島の近くと外側の礁とでは、水深や波に加えて、陸から来る物質の影響にも違いが生じます。礁湖内を一様な水槽のように考えることはできません。
チュークの山と礁を一緒に見ると、火山の終わりが、島の歴史の終わりではないことが分かります。かつての山体の一部は島となり、その間は海となり、周縁では生物が礁を築いてきました。外側の低い輪と内側の高い山は、別々の時間を経て、今の一つの景色をつくっているのです。
参考資料
- Stark・Hay/USGS(1963):Geology and Petrography of Volcanic Rocks of the Truk Islands、火山体の名残・侵食・沈降と礁の位置
- Keatingほか(1984)、EarthRef収録要旨:Age and origin of Truk Atoll、溶岩群の年代・化学組成・古地磁気
- Van der Brug/USGS(1983):Water resources of the Truk Islands、島の種類と降水・河川流出の観測
- NOAA:What are the three main types of coral reefs?、裾礁・堡礁・環礁の区別
- NOAA(2019):Indo-Pacific Reef-building Corals: General Status Assessment、礁の形と海底地形・中間的な形態