東京の東側を流れる荒川は、広い河川敷を持ち、地図ではゆったりとした帯に見えます。その西側の隅田川は、浅草や両国などの街に沿って曲がりながら東京湾へ。並んで流れる二本の川ですが、もともと別々の山から来た水が、たまたま近づいたわけではありません。
現在の隅田川は荒川の旧来の下流に当たり、現在の荒川下流は洪水を流すために開削された放水路です。自然の川に人工の水路が加わり、やがて新しい水路が本流の名を担うようになりました。二本の違いには、東京が洪水と折り合いをつけてきた歴史が残っています。
岩淵で分かれる、旧来の川筋と新しい放水路
埼玉県から東京へ入った荒川は、北区の岩淵付近で隅田川を分けます。東寄りの幅広い水路を進むのが現在の荒川、市街地の間を南へ曲がるのが隅田川で、両方とも最後は東京湾へ注ぎます。
岩淵から下流にある荒川の約22キロメートルは、もともと荒川放水路と呼ばれていました。放水路は、洪水を流すために設ける別の出口です。既存の川を単に広げたのではなく、街や田畑のあった場所に新たな大きな流路を通した点が特徴なのです。
川の接続関係だけを示しています。方位・流路の輪郭・距離・川幅は正確な地図ではなく、支流や運河は省略しています。水門は洪水時に隅田川へ入る水を調節する位置を表します。
隅田川という名前も、放水路ができて初めて生まれたわけではありません。以前から使われていた呼び名ですが、現在の区間を正式に隅田川とし、新しい放水路側を荒川とする整理は、1964年の河川法改正に続く1965年の水系指定の時期に行われました。古い地図の「荒川」を、現在の荒川だけに重ねると位置が合わなくなるのは、このためです。
1910年の大洪水が変えた、東京の川の設計
江戸から東京へと街が拡大しても、川に流せる洪水の量が同じように増えるわけではありません。1910年の大洪水では東京の下町が広く浸水し、既存の対策だけでは都市を守りきれないことが明らかになりました。
翌1911年に放水路事業が始まり、岩淵から中川河口方面へ向かう水路が計画されます。川の幅は約500メートル。船が通る溝を掘る程度の工事ではなく、東京の地形に新しい帯を一本通す事業でした。
工事のために移転したのは約1,300世帯です。住まいだけでなく、鉄道や寺社も移転・付け替えの対象になりました。洪水を受け持つ余地をつくることは、その場所で続いてきた暮らしの配置を変えることでもあったのです。
1924年、岩淵水門が完成し、放水路に水が通りました。関連工事を含めた完成は1930年です。「通水」と「完成」で年が違うのは誤記ではありません。水を流せる段階に達したあとも、大きな事業全体の工事が続いていたためです。
水門の役割は、二本へ均等に水を分けることではない
二本に分かれた川を見ると、水を半分ずつ流す装置を想像するかもしれません。しかし、荒川放水路の目的は、洪水時に上流から来る大量の水を、旧来の川筋へ入りにくくすることでした。
最初の計画では、岩淵に達する洪水のうち毎秒3,340立方メートルを放水路へ、毎秒830立方メートルを隅田川側へ流す配分でした。これは当時の計画値であり、現在の毎日の流量を表すものではありません。新水路が洪水の大部分を引き受ける設計だったことが分かります。
岩淵水門は、荒川の水位が高くなった際に、隅田川側へ洪水が入り込むのを抑える役割を持ちます。普段の水のつながりと、大水の際に閉じて守る働きが同じ場所にあるのです。二本の川を分けた効果は、川を掘ることと、水門で水の行き先を調節することの組み合わせで生まれました。
荒川の河川敷と、隅田川沿いの街並みの違い
現在の荒川では、普段水が流れる部分の横に、広い河川敷があります。平常時には運動場や散歩道として利用される場所もありますが、堤防に挟まれた範囲は、大きな出水時に水を流すための空間でもあります。
一方、隅田川は古くから街や水運と結びついた川です。両岸に市街地が接近しているため、荒川のような広い河川敷を連続して設けることは容易ではありません。堤防や護岸、テラスなど、限られた幅の中で川と街を接続する形が目立ちます。
もちろん、放水路ができれば隅田川の水の問題がすべて解消するわけではありません。支川から入る水、東京湾からの高潮、地盤沈下による土地の高さの変化は別に関わります。上流の洪水を振り分けることと、河口に近い低地全体の水を管理することは、異なる課題なのです。
さらに上流にも残る、荒川の付け替えの歴史
荒川の流路が大きく変えられたのは、近代の放水路工事だけではありません。江戸時代の1629年には、現在の熊谷市付近で川の付け替えが行われ、荒川を西側の川筋へ導く工事が進みました。これが荒川の西遷と呼ばれるものです。
現在の川は、源流から河口まで一度に設計されたわけでも、昔の流れがそのまま残ったわけでもありません。自然に変化した流路と、時代ごとの治水工事が重なってできています。東京の隅田川と荒川の関係は、その長い歴史のうち、下流の大きな転換に当たります。
隅田川が旧来の川筋で、荒川下流が新しく掘った水路。この違いを押さえると、地図上の二本の太さ、街との距離、古い地名と現在の河川名の食い違いが、一つの歴史としてつながります。