中国・安徽省の黄山では、細い岩峰が林立し、その間を深い谷が分けています。松が岩の隙間に根を張る姿は山水画を思わせますが、岩の柱が地面から一本ずつ押し出されてきたわけではありません。
黄山をつくる主な岩石は、地下でマグマが冷えて固まった花崗岩です。大きな岩の塊にあった割れ目に沿って風化と侵食が進み、周囲が失われることで岩峰が残りました。柱が積み上がった山ではなく、巨大な岩体が分けられてきた山なのです。
噴き出した溶岩ではなく、地下で冷えた花崗岩
花崗岩に近づくと、石英や長石などの粒を肉眼でも見分けられます。地下のマグマがゆっくり冷える間に、それぞれの結晶が育ちました。地表へ噴き出した溶岩とは異なり、地下で固まった深成岩なのです。
UNESCOの黄山世界ジオパークの説明では、黄山の花崗岩をつくったマグマの貫入は、およそ1億4000万年前にさかのぼります。ところが、その年代がそのまま現在の岩峰の年齢になるわけではありません。地下で岩石ができる段階と、地表で峰になる段階の間には、大きな隔たりがあります。
地下にあった花崗岩が見えるようになるには、上を覆う岩石や土砂が取り去られなければなりません。地盤が隆起し、川などによる侵食が続くと、以前は深い場所にあった岩体が地表へ現れます。黄山の景観は、マグマが固まっただけでは完成しなかったのです。
硬い岩を分ける、節理という割れ目
花崗岩は硬い岩石ですが、山全体が継ぎ目のない一枚岩とは限りません。大きな岩体には、節理と呼ばれる割れ目が発達します。割れ目に沿って大きくずれる断層とは区別されるものです。
節理の形成には、冷却、地殻に加わる力、上を覆う岩石が失われたあとの応力の変化などが関係します。縦に延びる割れ目も、斜めに交差する割れ目もあり、その配置に応じて後の削られ方が変わります。
硬い岩のどこから変化が始まるのでしょうか。水が入り込みやすいのは、緻密な岩の内部よりも、つながった割れ目です。水と接する面で鉱物の化学変化が進み、物理的にも隙間が広がるため、周囲より削られやすい筋になります。
割れ目が谷へ、残った塊が岩峰へ
風化した岩石がその場に残っているだけでは、深い谷はできません。水や重力によって細かな粒や岩塊が取り去られると、次の岩肌が露出します。風化が岩を弱くし、侵食がその材料を運び出すことで、割れ目の部分が次第に広がっていきます。
節理と侵食の関係に絞った模式図です。黄山の特定の峰の復元ではなく、実際には斜めや曲面の割れ目、鉱物組成や風化の差も形を左右します。
割れ目が深く伸び、その間の岩が比較的よく残れば、細長い峰になります。割れ目の間隔が広ければ大きな岩塊が残り、曲面に沿って外側がはがれる場合には丸い岩の形も生まれます。同じ花崗岩でも、一本の決まった形にしかならないわけではありません。
黄山の岩は、細い柱ばかりではありません。円い頂や稜線、箱のような岩塊もあり、ユネスコはその多様さを、節理の交差、鉱物や結晶の状態、風化への耐え方の違いと結び付けています。
尖った峰と丸い岩が同じ山にある理由
岩石の角は複数の面から水や空気の影響を受けるため、平らな面より先に風化が進み、丸みを帯びることがあります。一方、大きな垂直の節理に沿って岩が離れれば、丸い岩塊ではなく急な崖が残ります。
花崗岩の粒がばらばらになる風化も重要です。岩石をつくる鉱物は、すべて同じ速さで変化するわけではありません。結晶の結び付きが弱まると、元は硬い岩だったものが砂状になり、水に運ばれやすくなります。
つまり、丸い表面と鋭い崖は、相反する証拠ではありません。割れ目の大きさや向き、塊の位置、どの作用が強く働いたかによって、同じ山の中に共存します。黄山の景観の複雑さは、「花崗岩は硬いから尖る」という一言では説明しきれないのです。
石灰岩の塔や、氷河の谷との違い
中国の桂林にも、塔のような山が並びます。しかし、桂林の主な岩石は石灰岩で、炭酸塩が水に溶ける働きが地形形成の中心です。黄山は花崗岩。遠景が似ていても、岩石の材料と失われ方が異なります。
また、黄山の形については、過去の氷河の影響を重視する説明もありました。ただし、UNESCOの現在のジオパーク解説でも、第四紀の氷河の存在は議論のある問題として扱われています。岩峰や窪みがあることだけで、氷河が削ったと決めることはできません。
地下で固まった岩石が地表へ現れ、割れ目から分かれ、周囲の材料が運び去られる。この長い過程が、黄山の柱や谷をつくってきました。峰の間にある空間も、もともとは岩が占めていた場所と考えると、目に見える岩峰だけでなく、失われた岩の量にも山の歴史が表れていることが分かります。