台湾東部の太魯閣峡谷では、白や灰色の岩壁の間を立霧渓が流れています。建物の床や彫刻に使う大理石が、ここでは巨大な谷の壁になっています。なぜ海に近い山中に、それほど大量の大理石があるのでしょうか。
その出発点は、山ではなく海底です。海にたまった炭酸塩が石灰岩になり、地下の熱と圧力で大理石へ変化し、地殻の衝突によって高い場所へ運ばれました。岩をつくった歴史と、その岩を谷に削った歴史が、太魯閣では一つの景観に重なっています。
海底の石灰岩から、大理石への変化
太魯閣の大理石の出発点は、海底にたまった炭酸カルシウムを主成分とする物質でした。生物の殻や骨格などに由来する堆積物が固まると石灰岩になり、さらに地下で変化すると大理石になります。
地下深くの熱と圧力によって結晶が組み替わる変成作用は、岩石を一度マグマに溶かす過程ではありません。主に固体の状態のまま結晶が再成長し、石灰岩が大理石へ変わるのです。
こうしてできた大理石は、元の石灰岩よりも結晶がはっきりし、模様や組織も変わります。貝殻などの形がそのまま残るとは限りません。海にあった証拠を探すときも、見える化石だけでなく、岩石の組成や周囲の地層との関係を調べる必要があります。
白い帯と暗い帯に残る、岩石の材料と変形
太魯閣の岩壁は、すべて均一な白ではありません。灰色や暗い帯が混じり、縞が曲がって見える場所もあります。炭酸塩以外の物質を含んでいたことや、変成の際にできた鉱物、岩石に加わった変形が、こうした見た目に関わります。
山をつくるほどの力が長く加わると、岩石の層は曲がったり、断層でずれたりします。硬い岩が曲がるというのは奇妙に感じられるでしょう。しかし、地下の高温・高圧の条件と、地質学的な長い時間の下では、手元の石を折るのとは異なる変形が起こります。
太魯閣一帯には、大理石以外にも片岩や片麻岩などの変成岩があります。峡谷のすべての場所を同じ岩質とみなすことはできません。どの岩が地表に現れているかによって、谷の幅や斜面の崩れ方にも差が生まれます。
山が高くなる一方で、川が下へ掘る仕組み
台湾では、フィリピン海プレートとユーラシアプレート側の地殻が衝突し、山脈の隆起が続いています。深いところにあった大理石が上昇するとともに、表面を覆う岩石が侵食され、大理石が露出する条件が整いました。
同時に、立霧渓は高い山から海へ水を運びます。土地が持ち上がる一方で、川が岩盤を削って流路を下げると、両岸の高い部分と川底の差が大きくなります。谷の深さは、地面が割れて口を開けた幅だけで決まるものではありません。
地質史を単純化した模式図です。実際の断面・時間の長さ・地層の傾斜は再現していません。大理石の形成は岩石全体がマグマになって固まる過程とは異なります。
川の仕事は、水そのものが岩をこすることだけではありません。流れが運ぶ砂や石も岩盤を磨いたり打ち付けたりし、割れ目に沿って岩塊が取り去られることがあります。ふだんの細い水流だけを見て、長い時間の侵食力を判断することはできないのです。
大理石が残す、狭く高い谷の壁
谷を深くする作用と、谷を横へ広げる作用は別です。川が下へ掘る速度に対して、両岸の斜面が後退する速度が小さければ、谷は狭く深い形になります。
太魯閣の厚い大理石は緻密で、場所によって高い壁を保ちます。国立公園の解説も、立霧渓の下刻と、岩質による斜面の後退の遅さを峡谷の特徴として挙げています。単に雨が多いからというだけでは、垂直に近い岩壁の連続は説明できません。
ただし、硬い大理石でも崩れないわけではありません。節理や断層などの不連続な面があれば、そこから岩が分かれます。岩の材料としての硬さと、斜面全体がどのように崩れるかは、同じ性質ではないのです。
水に溶ける働きも加わる、岩と川の関係
大理石は石灰岩と同じく、炭酸塩を主とする岩石です。水の化学的な性質によっては成分が溶け出し、割れ目や水の通り道が変化します。硬い石だから、水との反応が起こらないわけではありません。
太魯閣の水を調べた地球化学の研究では、二酸化炭素や硫酸などが関わる炭酸塩岩の化学風化も検討されています。峡谷は、岩塊を取り去る物理的な侵食と、成分を溶かして運ぶ化学的な作用の両方を受けています。
高い壁の大理石は、遠い時代の海底の材料です。その材料が地下で変成し、山脈とともに持ち上がり、川に削られて今の壁になりました。太魯閣の白い岩肌には、海、地下深部、山地、河川という異なる環境を通過した岩石の履歴が表れているのです。