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イラク南部に広大な湿地がある理由 チグリス・ユーフラテス川と海の近い平野

公開日

乾いた大地のイメージが強いイラク南部に、舟が行き交い、ヨシが茂る広い湿地があります。アフワールと呼ばれるメソポタミアの湿地です。足元に水があるからといって、その場所でたくさん雨が降るとは限りません。

水を運んでくるのは、チグリス川とユーフラテス川などの河川。遠くの山地で集まった水が、勾配の小さい南部の平野へ入り、低い土地へ広がります。雨の少ない地域に湿地が成立する理由は、現地の気候より広い範囲の水の動きにあります。

湿地を養うのは、遠い上流で集まった水

チグリス川とユーフラテス川は、イラクの国境内だけで完結する川ではありません。北側の山地などに降った雨や雪が河川を通して運ばれ、下流の水量を支えます。

そのため南部の湿地は、地元の雨だけで維持される池とは性格が違います。湿地の上が晴れていても上流から水が届く一方、現地に雨が降っても、長期の流入が減れば広い湿地を保てるとは限らないのです。

海の近くで小さくなる勾配と、横へ広がる水

山を流れる川には、水を狭い谷へ集める大きな高低差があります。では、海に近い低平な土地ではどうでしょうか。わずかな高さの違いが水の行き先を左右し、分流した水が川沿いの低まりや浅い水域へ入りやすくなります。

洪水時に川からこぼれた土砂は、岸の近くにたまって自然堤防をつくることがあります。その背後に低い土地が残れば、水は本流へ簡単には戻れません。川が運んだ土砂は平野を埋めるだけでなく、水が滞留する凹凸も生むのです。

平坦な下流平野で、川の水が湿地を支える仕組み
中央の河道の両側に低い自然堤防があり、その外側の低地に水と葦が残る。矢印は増水時の川から湿地への給水を示す。

氾濫原の一部を横切る模式断面です。比高を強調しており、イラク南部の実測地形ではありません。すべての湿地がこの断面に一致するわけではなく、水路・堰・海からの影響などは省略しています。

湿地は一枚の深い湖ではなく、水路、ヨシ原、開けた水面などの組み合わせです。水量や季節に応じて境界が動くため、地図の青い輪郭を固定した器とみなすと、その性質を取り違えます。

淡水の湿地と、海の影響が及ぶ湿地

アフワールには、ハウィザ湿地、中央湿地、ハンマール湿地など、条件の違う水域があります。世界遺産の登録範囲も、これらの湿地を代表する複数の場所から構成されています。

海に近い側では潮汐や塩分の影響が及ぶ場所がある一方、河川からの淡水に強く支えられる場所もあります。イラク南部の湿地をすべて海水の沼、あるいはすべて同じ淡水の湖とするのは適切ではありません。

水がたまっていれば、それだけで元の湿地に戻るのでしょうか。蒸発では水が失われても、溶けていた塩類は残ります。淡水の流入と外への排水が弱まれば、残った水の塩分が高まる場合もあり、水面の面積だけでは環境の回復を判断できません。

ヨシの建材と舟の移動を支えた水の景観

湿地に育つヨシは、単なる背景の植物ではありません。地域では建物の材料などに使われ、水路は舟の通り道となり、魚や水牛を利用する暮らしも営まれてきました。

陸上の道路を中心とする都市とは異なり、住む場所、移動の経路、建材を得る場所が、水とヨシの配置に結び付いています。湿地の消失は水面が減るだけの変化ではなく、このつながりが失われることでもあります。

世界遺産としては湿地と古代都市の遺跡が合わせて登録されていますが、現在の湿地の人々の生活を古代から不変の姿と決めつける必要はありません。共通して重要なのは、水の配置が人間の活動の条件をつくってきたことです。

水の入口を変えると、湿地そのものが変わる理由

湿地は長い地形の歴史を持ちながら、水の入口を変えられると短期間でも大きく縮小します。イラクでは上流での水利用に加え、1980〜90年代の排水事業などが湿地を深刻に変えました。2003年以降には再湛水や復元の取り組みが進められています。

ただ、一度水を戻せば、その後の維持が自動的に保証されるわけではありません。供給量、蒸発、塩分、流出の条件がつり合って初めて、ヨシ原や水路の環境が続きます。

一時的に水を張ることと、上流から下流へ水が入れ替わる仕組みを回復することには差があります。さらにヨシの成長や魚の移動には、水の深さや季節変動も関係するでしょう。湿地の復元は、空いた器に水を注ぐだけの作業ではないのです。

アフワールは、砂漠の中で偶然残った水たまりではありません。山地の降水から海辺の平野までをつなぐ河川の、最下流側にある風景です。遠い上流で水の使い方が変わることが、舟の通れる幅やヨシの育つ場所にまで届くのです。

参考資料

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