川から水を取るには、大きなダムで一度ためればよい。そう考えると、中国・四川省の都江堰は不思議な施設です。岷江の流れを高い壁で全面的にせき止めるのではなく、川を分け、余った水と土砂を逃がしながら、成都平原へ水を導いています。
約2200年以上前に始まった仕組みの核心は、「水をできるだけ多く取る」ことではありません。必要な水を取り、入りすぎる水や土砂は戻す。その調節を、川の曲がり方、分岐、狭い取水口、低い堰の組み合わせで実現してきました。
山地の川が平原へ出る、取水に適した場所
都江堰は、岷江が山地から成都平原へ出る付近にあります。平原側より低い場所で取水したら、農地まで水を上げ直さなくてはなりません。ここでは上流側で流れを分けることで、その先の平野へ自然の高低差を使って水を送れます。
しかし山から来る川は、水だけを運んでくるわけではありません。増水すれば大量の砂礫も運びます。水を農地側へ引くだけなら、同時に土砂まで引き込み、水路を埋めてしまう問題が生じます。
魚嘴で分ける、平原へ向かう内江と本流側の外江
最初の大きな仕掛けは、魚の口のように突き出した分水堤「魚嘴」です。川の中へ長く延びる堤が、成都平原へ水を送る内江と、下流へ流れを通す外江を分けています。川を横切って全面的に閉じる壁とは、置かれ方が違うのですね。
二つに分かれる割合は、単に堤を左右の真ん中へ置けば決まるものではありません。川幅や深さ、上流から来る流れの向き、水位によって、どちらへ入りやすいかが変わります。川の曲がりも利用されているのです。
都江堰について紹介される一定の分水比率は、いつでも完全に同じ割合を保証する設定値ではありません。季節によって川の水量が違うことを含め、流れの条件に応じた分配として理解する方が実態に近くなります。
宝瓶口の狭さと、飛沙堰の低さがつくる調節
内江へ入った水は、平原側への狭い入口「宝瓶口」へ向かいます。入口が絞られているため、大量の水が来ても、すべてが同じ速さで農地側へ入り込むわけではありません。
その手前には、外江側へ水を逃がす低い堰「飛沙堰」があります。もし宝瓶口しか出口がなければ、通りきれない水は手前にたまるでしょう。都江堰には低い逃がし口もあるため、水位が上がると余分な水がそちらを越え、外江へ戻れます。
水路の接続関係を示す模式図で、方位・川幅・施設の形・流量比は実測ではありません。飛沙堰は低い越流堰であり、図の赤線が川を完全に閉じる扉という意味ではありません。底の土砂と表層の水の流れの差は本文で説明しています。
つまり、魚嘴だけですべてを済ませるのではありません。まず流れを分け、その後でもう一度調節する二段階の構造が、増水時の水の行き先をつくっています。
表面の水と川底の砂礫で異なる動き
曲がった川では、水は平面の線に沿って進むだけでなく、深さ方向も含む立体的な流れを持ちます。水面付近と川底付近では流れの向きや強さが違い、底を動く砂礫も同じ道を通るとは限りません。
川を真上から見た一本の矢印だけでは、こうした違いは消えてしまいます。水面に浮くものが進む方向と、川底に近い砂礫が運ばれる方向を分けて調べる必要があるのです。都江堰の利点は、水を分ける地形が、土砂の行き先にも働きかけるところにあるでしょう。
都江堰の水理研究は、内江の曲がりなどによって、水を宝瓶口へ導く一方、底の土砂を飛沙堰側へ排出する働きを説明しています。水と土砂を完全に分離するフィルターではありませんが、土砂の入りすぎを減らすうえで重要な工夫です。
流れを止めれば土砂はたまりやすくなります。都江堰は、流し続ける水の運搬力を使って、不要な土砂を逃がす発想も組み込んでいるのです。
二千年を支えたのは、設計と繰り返す手入れ
古い施設が今も働くと聞くと、一度つくれば修理不要の構造を想像しがちです。しかし都江堰では、乾季の浚渫や堤の補修などが長く続けられてきました。水路の深さが変われば、分水や土砂排出の条件も変わってしまいます。
「ダムでせき止めない」ことは、人工物がないという意味でもありません。分水堤、低い堰、取水口などを持つ大規模な土木システムであり、時代を通じて修復や改良が施されています。
都江堰が長寿なのは、古代の形がそのまま凍結保存されたからではありません。地形と水の性質を利用する基本構造に、人が条件を整え続ける仕事が重なっている。その両方が、長い運用を可能にしてきました。