バルト海の南東岸をたどると、長さ約98キロメートルもの細長い砂の陸地が見つかります。リトアニアとロシアのカリーニングラード州にまたがる、クルシュー砂州です。地図を縮小すれば、外海と内側の広い水域を隔てる線のように見えるかもしれません。
内側の水域は、海を砂の障壁が隔ててできた潟湖です。地図では大きな湖を囲う堤防のように見えても、砂州は人工の堤防ではありません。また、北端には海との出入口があり、水域全体が完全に封じられているわけでもないのです。
海岸に沿って運ばれた砂が、細い陸地に
砂州の材料を集めた主な働きは、波と海岸に沿う流れによる土砂の運搬です。斜めに入る波などで浜に沿って移動した砂が、運び去られる量を上回って届けば、そこには砂が蓄積していきます。もともと海だった場所も、十分な厚さが積み重なれば水面上の陸地になるでしょう。
クルシュー砂州は、氷河が残した地形や、かつて点在した高まりなどを土台に、長い時間をかけて発達しました。最初から98キロメートルの一本の砂の棒があったわけではありません。砂の蓄積によって高まりがつながり、海と内側の水域を分ける形になったのです。
細長い形には、海岸に沿う方向の材料の移動が表れています。ただし、完成した砂の壁がそのまま残り続けるわけではありません。嵐で削られ、別の場所に砂がたまり、輪郭は変化する。材料の出入りが続くことで、細長い陸地が保たれているのです。
上を北とした接続模式図です。正確な海岸線・川幅・塩分分布や流量比ではありません。潟湖全体が海水という意味ではなく、淡水の流入と風・水位差などで海との交換が変わります。
砂州の北端に残る、海への一つの出入口
クルシュー潟湖は、北端のクライペダ海峡を通してバルト海につながっています。南側では砂州が陸につながり、北側に狭い開口部が残る。この配置が、潟湖の水の行き来を強く制約しています。
内側へはネムナス川などが淡水を運び込みます。その水が海へ出る一方、風や海と潟湖の水位差などの条件によって、海水が入口から入り込むこともある。砂州は水を完全に遮断する壁ではなく、海との交換を限られた場所へ集中させる障壁なのです。
ここで「海とつながるから全域が海水」と考えると、実態から離れてしまいます。川の淡水が大量に入るため、潟湖の多くは淡水の性格が強く、海水の影響は北側で現れやすい。入口からの距離と川からの供給が、水の性質に違いを生みます。
入口の形を変えると、奥の水にも影響する理由
クライペダ海峡は、港へ船が出入りする航路でもあります。船のために水路を深くすることは、水が通る断面を変えることでもあるため、海と潟湖の交換に影響する可能性があります。
1984〜2005年の観測を扱った研究では、塩分の変動と、海峡の形状や水交換の変化との関係が検討されました。水路が深ければ必ず一定量の海水が入るという単純な式ではなく、風、川の流量、海側の水位なども合わせて考える必要があります。
もし海との接続が何本もあれば、一つの水路が変わっても別の経路が残るでしょう。しかし、この潟湖の出入口は北端に集中しています。地図では小さく見える切れ目が、内側の広い水域の水交換を左右するのです。
砂州をつくる波と、その上の砂丘を動かす風
海が材料を集めたあと、陸上では風が乾いた砂を運びます。砂は海岸から内側へ移動し、砂丘をつくりました。波による砂州の形成と、風による砂丘の発達はつながっていますが、働く場所と運搬の仕組みが異なります。
その風の作用は、暮らしにとって深刻な問題にもなりました。森林が失われると、根や地表の植生に押さえられていた砂が動きやすくなります。クルシュー砂州では、森林の伐採が進んだあと、飛砂や移動する砂丘に集落が覆われた歴史があります。
現在の穏やかな森林景観だけを見ていると、砂が村を埋めるほど移動したことは想像しにくいでしょう。しかし、木々は景色に添えられた飾りではありません。砂を固定し、人が住める範囲を保つうえで大きな役割を果たしてきました。
手つかずの自然ではない、世界遺産の砂丘
19世紀以降には、植林や砂を抑える工夫が進められました。今日のクルシュー砂州は、自然がつくった地形に、人が砂の移動と向き合った歴史が重なっています。世界遺産としての評価も、単に巨大な砂丘があるという点だけではありません。
クルシュー砂州は文化的景観として登録されています。厳しい環境との関わりが地形や植生、集落の配置に残る場所であり、「人の手が入っているから価値がない」とは言えません。砂の自然な働きと、暮らしを支えた管理を、切り離せないところに特徴があります。
海岸に沿って伸びる砂、潟湖へ流れ込む川の水、北端を出入りする海水、陸上を動く飛砂。それぞれの移動を分けて考えると、細い砂州が巨大な水域を隔てられる理由と、その形を守る難しさが同時に見えてきます。