ギリシャのメテオラでは、細長い岩の塔の上に修道院が載っています。下から見ると、地中から岩の柱が押し上がったようにも見えます。しかし、代表的な岩塔の材料は、固まった溶岩ではありません。水が運んだ砂や小石が積もり、固まった岩石です。
その地層が持ち上げられ、割れ目に沿って削られることで、塔や崖が残りました。修道院が生まれるはるか前、ここには大量の土砂を運ぶ川や、水の中へ土砂が広がる堆積環境があったのです。
岩の中の丸い小石が示す、堆積物としての出発点
礫を多く含む堆積物が固まれば礫岩、砂が主なら砂岩になります。メテオラの岩塔は、こうした異なる粒の大きさを持つ地層が厚く重なってできました。
礫が丸みを帯びているのは、もとの岩片が運ばれる途中でぶつかり、角を失ったことと関係します。現在の塔から小石が一つずつ積み上がったのではありません。まず土砂として運ばれ、埋没や固結を経て岩石になりました。
また、礫岩だから必ずもろいとも限りません。粒同士の間を埋める物質や固結の状態によって、岩体としての強さは変わります。細かな材料の集まりが、大きな崖を支えられる岩石になるのです。
海盆へ土砂を送り込んだ、古い山地と川
国際地質科学連合の地質遺産解説では、メテオラの主要な地層は、漸新世後期から中新世前期のペンタロフォス層に位置付けられています。大まかには数千万年前の堆積物で、修道院の歴史とは桁が違います。
周囲の山地から運ばれた土砂が、沈降する盆地へ供給されました。下部には水域へ広がる扇状のデルタに関係した堆積物、上部には河川の働きが強い堆積物が認められます。現在の乾いた岩塔の景色だけでは想像しにくい、水と土砂の環境です。
一つの湖の底に同じ泥が静かに積もった、というだけでは説明できません。運ばれた粒の大きさや層の構造を調べることで、流れの強さや堆積場所の変化を検討できます。
割れ目が侵食の通り道になり、塔を分ける
地層が陸上へ現れる過程では、地殻変動で岩体に割れ目が生じました。水は割れ目へ入り、風化や侵食を進めます。壊れやすい部分が失われると、残った岩が周囲より高くなります。
最初から独立した塔が一本ずつあったのではなく、まとまった岩体が分割され、間の部分が取り去られたと考えると形がつかみやすくなります。塔の間の空間は、何もなかった場所ではなく、物質が失われた場所でもあるのです。
風も岩の表面に作用しますが、メテオラの大きな地形を風だけの彫刻として説明するのは不十分です。地層の構造、割れ目、水による侵食が重要な組み合わせになります。
材料と形の関係を示す模式図で、実際の地層や修道院の配置ではありません。上下の縮尺は異なり、修道院は岩石形成・侵食よりずっと後の建築です。
岩塔の上という立地が変えた、修道院への近づき方
中世以降、こうした岩の上に修道院が建てられました。地上から隔てられた場所は、宗教生活の場として独特の意味を持つとともに、近づきにくい立地でもありました。建設には、人だけでなく資材や生活物資を上へ運ぶ問題が伴います。
ただし、岩の頂上が平らだから修道院が自動的にできたわけではありません。宗教的な動機、建築の技術、支援する人々の存在が必要でした。自然地形は、その活動に強い条件を与えたものです。
下からの眺めでは建物が岩と一体に見えますが、地質学的な岩塔と、人がつくった建築の時間は区別できます。長い侵食の結果として残った足場が、後の社会で別の価値を持ったのです。
「岩の年齢」と「塔の形の年齢」は別
礫岩が数千万年前の堆積物だからといって、現在と同じ塔がその時から立っていたとは限りません。土砂が積もった時期、岩石として固まった時期、隆起や侵食で今の輪郭に近づいた時期は異なります。
メテオラの景色には、古い山からの土砂の供給、盆地での堆積、地殻変動、水による削り出し、修道院の建設という時間の重なりがあります。空中に浮かぶような建物を支えているのは、かつて水が運んだ、ごく普通の砂や小石から始まった岩なのです。