中国の都市を地図に並べると、東側に多く、西側には都市と都市の間が大きく開いた地域があることに気づきます。国土が広いからといって、人が均等に住めるわけではありません。水、標高、耕地、交通の条件が、人口の分布に深くかかわっています。
この偏りを鮮やかに示したのが、地理学者の胡煥庸が1935年に提示した線です。北東の黒河付近と南西の騰衝を結ぶ線の両側で、人口密度が大きく違う。現在「胡煥庸線」と呼ばれるこの線は、地図に引いた一本の線から、中国の地理と都市の発展を考える入口になります。
黒河と騰衝を結ぶ線が示した偏り
胡煥庸線は、国境でも、行政区の境界でもありません。人口の分布を調べた結果、その大きな違いを要約するために引かれた線です。もともとは当時の地名を用いて、璦琿と騰衝を結ぶ線として示されました。
線の南東側には、華北平原、長江流域、東南部の沿岸など、多くの人口を支えてきた地域が含まれます。北西側には、広い乾燥地や高原、山地があり、面積に比べて人口が少ない傾向があります。
当初の推計では、南東側に人口の約96%、北西側には約4%という大きな偏りがありました。これは1935年の論文で示された歴史的な数字で、現在の人口比そのものではありません。線が人を分けたのではなく、すでにあった人口の偏りを一本の線で表したことが、この発見の核心です。
位置関係を単純化した概念図で、国境や人口密度の実測図ではありません。線の両側にも都市や人口の少ない地域があり、気候だけで分布が決まるわけではありません。
農地を支えた平野、水、長い生育期間
多くの人が暮らすには、食料を安定して得る仕組みが必要でした。大河の流域には土砂が積もった平野が広がり、水を引き、農地を連続させやすい場所があります。東部や南部の一部では、夏の季節風がもたらす雨も農業を支えてきました。
一方、西部には降水の乏しい地域や、標高が高く寒冷な地域があります。耕作できる時期が短い、水を得られる範囲が限られる、山で土地が分断されるといった条件は、広い面積をそのまま広い農地として使うことを難しくします。
胡煥庸線は、乾燥度や地形の大きな移り変わりともおおむね対応します。ただし、特定の降水量の等値線と完全に一致するわけではありません。水の量に加え、標高、気温、土壌、河川、歴史的な土地利用が重なって、人口を支える条件をつくっています。
四川盆地が教える「東側イコール沿岸」の誤解
人口の集中を海沿いの話だけにすると、成都や重慶を含む四川盆地の存在が説明できません。四川盆地は内陸にありながら、農業と都市の発達を支える大きな地域です。胡煥庸線の南東側は、細い海岸沿いの帯ではないのです。
反対に、東側にも山地や人口密度の低い場所があります。福建省などの沿岸部にも山が多く、都市は平地や港の周囲へ集中します。「東は平野、西は砂漠」という一枚の塗り分けでは、実際の配置を捉えきれません。
広い国土を考えるときには、全国規模の傾向と、盆地や河川流域ごとの違いを往復する必要があります。胡煥庸線は大きな偏りの説明に役立ちますが、個々の都市の立地まで一本で説明する道具ではありません。
西部の都市を支える、オアシスと交通の結節点
乾燥地にも都市はあります。山岳の雨や雪解け水が集まり、灌漑できるオアシスでは、周囲より多くの人が暮らせます。山に挟まれた通路や交易路の交差点には、物資と人の移動を支える街も発達してきました。
西部を広い単位で平均すると人口密度は低く見えますが、人は使える水や土地の近くへ集まっています。無人に近い山地や砂漠と、密度の高い都市が同じ集計範囲に入るためです。平均の数字が小さいことと、すべての場所に人がまばらに住むことは同じではありません。
都市の成長によって水需要が増えれば、周辺の農業や生態系との配分が問題になります。道路や建物は整備できても、水の供給条件まで無制限に変えられるわけではありません。西部の人口分布を理解するには、広さよりも、利用可能な資源の集まり方が重要です。
近代の人口移動を強めた、港と仕事の集積
農業の条件だけでは、現代の大都市への集中を説明しきれません。港、工場、鉄道、サービス業、教育機関などが集まる場所は、多くの仕事と取引の機会を生みます。仕事を求めて人が移動すれば、さらに消費や人材の市場が広がります。
企業にとっては取引先や労働者を探しやすくなり、人にとっては転職先や生活サービスの選択肢が増えます。すでに大きい都市が、次の人や企業を引きつける循環です。ただし、住宅費や混雑などの負担も生じるため、集積の利点が無限に増えるわけではありません。
東部への集中は、自然条件の上に、政策、産業化、交通網、人口移動が重なった結果です。気候が数年で急変しなくても、人や企業の移動によって都市圏の内部構造は大きく変わります。
長く残る大枠と、その内側で動く人口
胡煥庸線を挟んだ人口の大きな偏りが続いていることは、すべての街の人口が変わっていないという意味ではありません。同じ側の中でも、地方から省都へ、内陸から沿岸へ、小都市から大都市圏へと移動が起きます。
人口が増える都市と減る都市を一緒に合計すれば、大枠の比率が似て見える場合もあります。全国の東西差が安定していることと、生活圏が安定していることは別の現象なのです。
中国の人口が東側に集中する理由は、雨が多いからという一言には収まりません。長く人を支えてきた水と農地の分布が土台となり、その上に交通と仕事が集まり、移動が続いてきました。胡煥庸線の価値は、将来を固定することではなく、人口の偏りがどの条件から生まれ、何が変わってもなお残るのかを考えさせる点にあります。