砂地に船が取り残された写真は、アラル海の縮小を象徴しています。ただし、あの風景を「雨が降らなくなって湖が消えた」と説明するだけでは、変化の中心を捉えられません。大きく変わったのは、湖に届くまでの川の水の使い方でした。
アラル海は外洋につながらない内陸湖で、二つの大河の流入に支えられていました。畑へ向ける水を増やせば、農地は潤う一方、下流の湖は水を失います。一つの水が複数の場所を支えていたことが、縮小によって目に見える形になったのです。
砂漠の湖を養っていた二つの大河
アラル海へ流れていたのは、主にアムダリヤ川とシルダリヤ川です。遠くの山に降った雪や雨を集め、乾燥した平野を通って湖へ水を運んでいました。
湖の周囲の雨が少なくても、大河が水を補給すれば、大きな水面を維持できます。乾燥地の湖にとって、湖面に直接降る雨だけを調べても水の量が説明できないのは、このためです。
アラル海には外へ流れ出す川がなく、入った水は主に蒸発で失われていました。長期的には、流入量と湖面から失われる量の関係によって、水面の大きさが決まる仕組みです。
綿花畑への灌漑と、湖まで届かなくなった水
1960年代以降、旧ソ連は中央アジアの乾燥地で灌漑を大規模に拡大しました。川の水が運河を通じて綿花などの農地へ向けられ、湖へ届く流量が減っていきました。
畑へ送った水がすべて同じ川へ戻るわけではありません。作物が吸い上げた水の一部は葉から空気へ出て、地表や水路からも蒸発します。漏れた水も、すぐに湖へ届くとは限りません。
流域の水収支を示す概念図で、二大河川の位置や実測の流量、湖岸線を表したものではありません。農地から戻る水などの経路は省略しています。
水を利用した農地だけを見れば、砂漠を緑に変えた事業です。しかし流域全体では、上流側の利用の増加と下流側の水不足がつながっていました。農業と湖の環境を、別々の水で支えていたわけではないのです。
水位の低下が湖の分裂を起こす仕組み
湖底は平らな皿ではなく、深いくぼみと浅い高まりがあります。水位が下がると、浅い部分が先に陸になり、以前はつながっていた水面が別々の湖へ分かれます。
アラル海では北部と南部が分かれ、南部も東西で異なる変化をたどりました。特に浅い場所は、わずかな水位低下でも広い面積が干上がりやすくなります。衛星写真で水面の面積が急減して見える背景には、湖底の形もあるのです。
逆に、一時的に川の水が増え、浅い湖底を水が覆えば、水面の面積だけは大きく戻る場合があります。それでも深さがわずかなら、蓄えた水量の回復は限られます。「面積が増えた」と「かつての湖が回復した」は同じ意味ではありません。
水が減ると塩分が濃くなり、従来の魚が生息しにくくなります。かつての港は水際から離れ、漁業や輸送の仕組みも維持できなくなりました。変わったのは青く塗られた面積だけではありません。
北アラル海の回復と、南部に残る縮小
アラル海を「完全に消えた湖」と呼ぶのも正確ではありません。カザフスタン側の北部では、2005年に完成したコクアラル堤防などによって、シルダリヤ川の水を北側に保持する事業が進められました。
その結果、北部では水位の回復や塩分の低下が見られ、漁業にも改善がありました。ただし、これはかつてのアラル海全体が元に戻ったという話ではありません。水が足りない状況の中で、北部の水域を維持する選択だったのです。
堤防が水を新しく生み出したわけではありません。シルダリヤ川から来た水が広い南側へ流れ出るのを抑え、限られた範囲で水位を保ちやすくした施設です。湖のどこに水を残すかを変えることで、維持できる水域と生態系を回復させた点に、北部の事業の特徴があります。
南部は別の水収支に置かれ、浅い東側では年によって水面が現れたり消えたりしています。一枚の写真で回復や消滅を断定するより、北と南、深い場所と浅い場所を分けるほうが、起きている変化を正しく捉えられます。
湖岸から遠く離れた場所にもある縮小の原因
湖底が露出すると、塩を含む細かな堆積物が風で運ばれるようになります。水を失った場所の影響が、周辺の土地へ広がる経路です。
アラル海の縮小には気候や年ごとの河川流量も関係しますが、大規模な灌漑によって流入を減らしたことが歴史的な中心要因です。乾燥した年だけを原因にすれば、水の配分によって生じた変化を見落としてしまいます。
湖を守るには湖岸だけを整えればよい、とは限りません。川の上流でどれだけ使い、どれだけ下流へ残すか。その選択が、はるか離れた港の水際を動かしました。